歴史と素適なおつきあい

ちょっとディープな王子散歩


中川歴史ウォーキング41    2018・6・16

バラが咲き誇る古川庭園、それから王子稲荷のきつね様に会い
戦争遺跡(陸軍兵器工場や陸軍造幣廠)を訪ねます

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ベビーメタル仕様の狐面


集合:9:45  南北線「西ヶ原」駅 改札口

西ヶ原駅・・平塚亭・・平塚神社・・古河庭園・・無量寺・・一里塚
・・醸造試験場跡地・・王子神社・・王子駅周辺で自由ランチ・・装束稲荷・・
王子稲荷・・北区中央図書館(軍需工場跡)・・中央公園文化センター(兵器工場跡)






歴史
西ヶ原は先土器時代から人が住み、現在でも北区で良好な
住宅地となっている。
豊島郡の郡衙があり、中世には豊島氏の支配となり
源義家が世話になった豊島氏に鎧を贈っている。
江戸寺時代に日光御成街道が通り一里塚が残る。
飛鳥山は将軍吉宗が庶民のための行楽地とした。
明治になると王子や赤羽根に軍需工場が造られ
戦争遺跡を残す。

平塚亭
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大正初期から営業され、だんごは作家内田康夫の
「浅見光彦シリーズ」で有名である。
小説では浅見家が近くにあるという設定になっており
浅見光彦の住民票も作られ
北区役所で一通500円で住民票が売られている。

平塚神社
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平安末期に平塚城があった。
後三年の役の帰りに源義家が豊島氏のいたこの地に訪れ
そのもてなしに感謝し鎧を授けた。
豊島氏が鎧を埋め塚を造ったことに由来する。
豊島氏は太田道灌に滅ぼされる。

古河庭園
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明治に睦奥宗光が土地を購入し別宅とした。
睦奥宗光の次男が古川財閥の古川市兵衛の養子となり、
2代目となり古河家の所有になった。
大正3年(1914)3代目古河虎之助が周囲の土地を購入し
本宅用として整備をした。3年後にジョサイア・コンドルにより設計され
西洋館、洋風庭園ができた。
市兵衛は足尾銅山に投資し「銅山王」といわれ
背後に足尾鉱毒事件や激しい労働争議をかかえていた。
睦奥宗光の次男は若くして亡くなり側室との子の虎之助が当主となり
銀行を設立するなど多角化をすすめ古河財閥の基盤を確立した。
そのころこの邸宅が作られた。
関東大震災のとき避難者を受け入れここを解放し救済した。
労働争議で疲れ、震災の救済で信仰心も生まれ
ここを会社の迎賓館とし、自らは質素な生活を求め牛込に転居した。
西郷従道の孫を養子に迎え満州事変から古河財閥は栄えた。
太平洋戦争末期に陸軍第9師団の将校宿舎となり、戦後は連合軍が接収、
財界解体で所有は大蔵省になった。5代目古河潤之助は2018年3月に82歳で
亡くなった。
その後公園になった。
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山田君自販機


無量寺  真言宗豊山派
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6月 



平安時代からあったといわれる。
江戸時代将軍綱吉の生母桂昌院が参詣している。
もとは長福寺だったが、将軍家重の幼名が長福丸
だったため無量寺と改めた。
猫に優しい美しい寺である。
外国人も多く訪れている。

西ヶ原の一里塚
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日光御成街道の2つ目の一里塚であるが
撤去されようとするところ王子に住む
渋沢栄一を中心とする地元住民により
撤去は免れた。旧位置を保つ貴重な一里塚である。

醸造試験場跡地
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レンガの建物があり、国立の機関で日本酒造りの近代化と
酒類産業の発展のために明治37年に造られた。
設計は横浜の赤レンガ倉庫や神奈川県立博物館を造った
妻木頼黄(よりなか)で、東大でジョサイア・コンドルに学んだ。

王子神社
新編武蔵風土記稿に源義家が後三年の役の帰りに
鎧を授けたことが始まりで、王子の地名の由来となっている。
豊島氏が熊野から若一王子を勧請した。
境内に 蝉丸を祀る関神社がある。

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蝉丸は宇多天皇、醍醐天皇の子と定かではないが、
百人一首え有名である。姉の髪が逆立ち人々に笑われるのを
嘆くので、カツラを作ってあげたという。
それでこの神社はかつらの神様であるという。
東海道歩きをしたときに蝉丸神社分社だったかと思うが
寂しく荒れていたという記憶がある。

装束稲荷 祭神 ウカノミタマノ神
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関東八ヶ国の稲荷の使いが王子稲荷へお参りに行く時
この装束稲荷の榎木の下で装束に着替え練り歩いた
という言い伝えがあり、安藤広重の錦絵にある。
狐火が続き昔はその数で翌年の作物の吉凶を占った。

現在では大晦日の行事として狐面をつけて
練り歩く。
向かえの店は王子ヤマワできつねグッズ、今戸焼き、狐のガチャガチャなど
楽しい店である。最初の写真の狐面を購入した。

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装束稲荷の狐様はモダン

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王子稲荷神社 祭神 ウカノミタマノ神
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源頼義(よりよし・義家の父)が奥州征伐の祈願に
立ち寄り、関東の総稲荷としたと伝わる。
西暦1060年には存在したという。
きつねの穴もある。

落語「王子の狐」

王子稲荷の狐は人を化かすと有名だった
狐が美女に化けるのを見た男は声をかける

「お玉ちゃん、食事でもしないかい」
「あら熊さん お久しぶり」

料亭扇屋に上がり込み油揚ならず天婦羅を出され
お玉ちゃんはすっかり酔いつぶれ眠ってしまった

男は土産に卵焼きを包ませ「勘定は女が払う」と
言ってさっさと帰ってしまった

目が覚めたお玉ちゃん、男が帰ったと聞いてビックリ、
耳が立ち尻尾までにゅっと出てしまった
店の人もそれをみてビックリ、追いかけた
ほうほうのていでお玉ちゃんは逃げ果せた。

男は翌日友人宅に扇谷の卵焼きを持ってでかけた
そこで「狐を化かした」と吹聴するが
「狐は執念深い 馬鹿なことをしでかしたものだ」と脅され謝りにいくに

狐の穴の近くにいた子狐に手土産と謝罪を言付かった。
子狐は「昨夜はひどい目にあった」と穴でうんうん
うなっている母狐に手土産を渡した。
中身はぼたもちで子狐は
「かあちゃん 美味しそうだ
食べてもいいか?」
母狐「いけないよ 馬の糞かもしれない」


今でも 扇屋さんは甘い卵焼きを販売しています
売り切れが多いですが

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きつねのお穴

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名主の滝公園

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江戸時代王子村の名主畑野孫八が屋敷内に滝を開き
茶を栽培して避暑のために一般に開放したことがはじまりである。

ちんちん山児童公園
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軍需品を運ぶチンチン電車があり、
そのトンネルがあった
軌道の跡である
一帯の陸軍砲兵工廠の工場を結ぶ鉄道跡である
真ん中のだんごのが積まれたようなマークが
砲兵工廠のマークになる


北区中央図書館
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大正時代に建てられた東京砲兵工廠の275号という建物が
現在図書館として使用されている。
都響砲兵工廠は小石川(後楽園)から明治38年(1905)に
十条に移転、設計は陸軍省である。
この建物は弾丸鉛身場として大正8年に建設、54mあり
梁は中央に鉄骨の柱、鉄骨の2つのトラス(三角形の集合体構造)
で2連棟の形式でできている。レンガは北区内で作られており
関東大震災でも壊れず高度な技術で作られた建物である。

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面白い看板


中央公園文化センター
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東京第一陸軍造兵廠があり、陸軍で使われる銃弾などの
兵器を製造していた軍用地だった。この建物はその本部で、
昭和5年(1930)に建設された。
戦後米軍に接収され東京兵器補給廠となった。
一部自衛隊の駐屯地として使用したがほとんどが米軍の
キャンプ王子となった。ベトナム戦争のときは野戦病院が
あった。昭和43年(1968)ころ全学連などの反対デモが展開された。
学生の投石を止めに入った一般人が投石で左目負傷、失明となり、
巻き込まれた一般人1人が死亡している。
こうしたことで、昭和46年(1971)に返還され、のちに北区の中央公園と
して開園された。
白い建物だが元は茶色のタイル張りだったが、米軍が白く塗り替えた。

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ボイラー

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煙突の一部

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角材や投石で警官隊と衝突する学生(米軍王子キャンプ正門前)=株式会社朝日ソノラマ
社発行の「朝日ソノラマ」(1968年5月号)から
もの書きを目指す人びとへ わが体験的マスコミ論 岩垂 弘(ジャーナリスト)より


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王子駅の小さなトンカツ屋さんで
ハンバーグランチ







 










by gannyan1953 | 2018-04-22 11:07 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)
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