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歴史と素適なおつきあい 2018・2・17 城主はわからないが、玉縄城の出城と思われる。 鎌倉幕府滅亡のとき、
州崎の戦い(1333)で最後の執権北条守時が 陣を置き、1日に60回戦ったといわれる。
初めて訪れたとき さびしーと思い、 私はさわやかさとか気持いいを 感じなかった。 あとで城と知ったが ここは空気がちょっと重い。
途中でやめようかと思うほど 階段が続く 州崎古戦場の泣き塔は 徒歩15分のところにある。 泣き塔 ここは無茶苦茶怖い!
北条守時は妹が足利尊氏に 嫁ぎ、義理の弟足利尊氏が幕府に反旗を 翻したとき、謹慎させられていた。 のちに新田義貞が倒幕で攻めてきたとき、 汚名返上と戦い州崎で亡くなった。
天神山には北野神社があり、山崎天神と よばれる。 昔は州崎社といわれた。 暦応年間(1338〜1342)に 夢窓疎石が勧請したといわれる。 愛甲氏の菩提寺・宝積寺の鎮守だったともいわれる。 京都山崎に宝積寺があり、 それにちなんで このあたりを山崎という地名の由来らしい。 宝積寺は明治の廃仏毀釈でなくなり、 仏像は昌清院に移された。
ちょっとディープな鎌倉深沢散歩は、
北鎌倉からのコースで、 泣き塔や梶原景時の墓などまわって 大船駅までのコース。
その日は平昌五輪で羽生弓弦君が SEIMEIの演技の日だった。
八雲神社で清明石を拝み、 駒形神社で富士山に拝んでいたら、 金メダルの朗報がはいったので、 静かな神社で万歳をしてしまうという 記念すべき日だった。
by gannyan1953
| 2021-01-22 20:44
| 中世の城めぐり
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