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歴史と素適なおつきあい番外編 2021・6:14 「山田村由緒記」を図書館で借りた。 戦国末期から9代家重までの 記録で作者不詳とあるが、 本にした吉野孝三郎さんによると、 男全(おまた)家の先祖ではないかという。 それ以降の書は関東大震災で焼失とされる。
男全という名字がある。 「おまた」と読む。
清和源氏義季(よしすえ)流井上庶流という。 上野国から頼秀(頼信の子)のころと 思われるが、三河国加茂郡に移る。
戦国時代になると上総介時安は 武田家に仕え、 信玄の信の字をもらい、 信安に改名。 ここで男全と名乗るとある。
山本入道道鬼討死とある。 誰?と思ったら、 甲陽軍艦に山本入道道鬼討死とあるという。
山本勘助の生地は 三河国宝飯郡牛窪とある。 有名な小和田哲男氏によると、 三河国八名郡賀茂村ではないかという。
男全家の賀茂と同じだが、 調べたら加茂郡は豊田、 賀茂村は豊橋だった。
永禄4年(1561) 川中島の戦いで山本勘助は討死している。
男全家も死亡者は出たと思われるが、 よくわからない。
その後、織田家臣になったという。
あとを継いだ信廣が関東にきて、 廣時が山田村重代に土着したらしい。 没年は慶安3年(1650)で、 長徳寺に墓がある。
「望郷」という港北ニュータウンの 昔の面影を書いた本があるが、 男全さんの一族富雄さんが書いた本である。
by gannyan1953
| 2021-06-14 15:22
| 港北ニュータウンの歴史・老馬
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