歴史と素適なおつきあい

カテゴリ:長野県歴史散歩( 21 )

御座石神社に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編   2018・6・18





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牛さんかわいかったなあ

蓼科に宿泊した帰り道・・これも偶然だが
御座石神社があり

めでたく立ち寄った

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ヌナカワヒメの足あとが残る石


あとの石はよくわかりませんが
石への信仰が好きです

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マーガレットがどこかしこにいっぱい咲き誇り
好きな花である

大阪の地震にびびり
早く帰宅した








by gannyan1953 | 2018-06-28 11:47 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

蓼科 鳴石

歴史と素適なおつきあい番外編  2018・6・17


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鳴石

どれほど大きいかというと


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古代の東山道にあり、
軽くたたくと鈴のような音がする・・・そうだ

昔・・・強くたたいた人がもだえ苦しんだためか
近寄れない

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むちゃくちゃおいしい
もしかしたら今までで一番美味しい
ソフトクリーム

食べながら標識見つけた

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もうもうさんから3分ほど
この道を歩く
ワクワク・・・

古代の勉強しているときにこの石のこと
知ってた
偶然の出会いだ

「もうもう」に感謝!








by gannyan1953 | 2018-06-28 11:37 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

蓼科大滝に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編  2018・6・17


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縄文のビーナスだ
尖石に寄れないので
孫にモニュメントで説明
本物はここまででかくないと・・





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ちゃんと駐車場がある

地名がプール平

大きなプールがあったかららしい
おもしろ地名だ




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木がでかい

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でかい


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美しい
癒されまくり

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by gannyan1953 | 2018-06-28 11:27 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

阿久遺跡に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編    2018・6・17


最古のストーンサークル!素適な響きだ

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といっても埋められちゃってるので遺跡の森です


遺跡概要

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パネルより


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なんてさわやかな遺跡入口

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遺跡の森には奇妙な動物の彫り物がある

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カエル見つけた
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振り返った遺跡の森


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遺跡を出たところ










by gannyan1953 | 2018-06-24 10:55 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

満蒙開拓平和記念館・長岳寺

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・30

阿智村に行ってきた

ヤマトタケルの史跡めぐりだったが、
中国残留孤児の父といわれる山本慈昭さんが
阿智村で活動していたことを知った

現在満蒙開拓平和記念館
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2013年に開設された

非常にわかりやすく展示されている

阿智村では昭和20年5月に阿智郷開拓団として
多くの人が満州に渡った

満州の北東に位置し未開の原野に入植した

他地域との交流もなく、すぐにソ連侵攻にあい、
逃避行となった

100人近くがこの地で死亡、
団員190人のうち帰国できたのは47人


山本慈昭さんは教師として
終戦間近の満州に渡り
逃避行のあと、シベリアに抑留され
昭和22年に帰国したが、
妻たちが帰国していないことに
愕然とする



昭和39年遺骨収集の目的で国交断絶していた
中国訪問をしたが、遺骨収集はできなかった

帰国した老人から本当は子供たちの何人かが
残留していることを知り、政府にかけあうが
うまくいかなかった。
残留孤児からの手紙が政府に届いていても
調査もしていなかったという。

山本のことを知った残留孤児から手紙が届き
孤児たちの肉身探しに奔走し
「残留孤児の父」と呼ばれた

娘が残留孤児となっていることもわかり
のちのち再会できた

満州国とは
13年存在した国で日本の傀儡政権の国だった
日本から27万人が入植した

満蒙開拓団は20町歩の地主になれるというスローガンで
夢を持って次男、三男など土地をわけてもらえない人々も
参加した

満蒙開拓青少年義勇軍は
16歳から19歳の健康な少年が参加したという


長岳寺



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山本慈昭さん

ここは武田信玄の終焉の地といわれている
根羽村にも終焉の地の言い伝えがある
広拯(じょう)山 長岳寺は
最澄が創建

武田信玄を火葬した寺である
信玄は野田城攻めの最中に
肺を患い、三河から信州伊那に戻る際
亡くなり
駒場の山中で落命したという


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信玄供養塔

先日NHKスペシャルで「告白〜満蒙開拓団の女」という特集を
放映していた

岐阜県の黒川村(白川村)の開拓団の話だった

終戦時に中国人から守ってもらう為に
ソ連軍に援助を求めた

ソ連軍の要求は女性の接待だった

自決する集団が続く中で
大変な決断だったと思う

帰国してから
もちろん女性たちは恥ずかしいし、
決定した男性たちは申し訳ないと思うし

みんなに開拓団を守ったことを感謝されることもないまま
年を重ねた

決然とある女性はその頃のことを話し始めた

この満蒙開拓平和記念館で話された

勇気ある女性に敬礼!













by gannyan1953 | 2017-08-06 20:58 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

神坂(みさか)神社 阿智村

歴史と素適なおつきあい番外編    2017・7・30

ヤマトタケルの足跡の旅にでた



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昼神温泉の奥に神坂神社はある

標高1070mくらいである

道は中央道の恵那山トンネルと並行しているが
険しい峠道である

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我が夫がハーイをしてまるでヤマトタケルの
銅像のようなポーズをとるので
驚いた

本人は銅像のポーズを知らない


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手水鉢

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ヤマトタケルの腰掛け石
大きい 座りごこち悪そう

ヤマトタケルはこの峠を昼神温泉から登った
悪しき鹿がいてノビルを噛んで目に当てたら
鹿は倒れた

それから通る人はノビルを噛みながら登ったという




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貢馬は「くめ」と読む


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かっこいい道である
神社の駐車場に車を置いて富士見台を往復をする
人たちがいた

古代から中世まで東山道を行き来するのに
この峠は死ぬ覚悟で登ったという

そのおまもりが近くの遺跡から出土している

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巨木に囲まれた社がとても素適だ

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少し下りると

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帚木にむかう道
登ってみたかったが時間がなかった

久しぶりに素適な神社にこれた























by gannyan1953 | 2017-08-03 20:45 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷⑦

歴史と素適なおつきあい番外編    2015・9・17


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表紙 山の女より 

とねんぼで展示されていた「山の女」が図書館にあった。

山の女 秋山郷・焼畑の谷に生きた女の一生:白日社 1992年発行

想像できないような過酷な暮らしが淡々とあっけらかんと語られており、
女性がたくましく生きていく姿に感動しつつ、一気読みとなった。

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山田ハルエさん
山の女より

大正7年(1918)秋山郷上ノ原に生まれる。
鈴木牧之が秋山郷を訪れたのは1820年ころ、菊地山哉は1932年
それから昭和28年(1953)にようやく屋敷に電気が入り、
切明までの道路が開通したのも昭和28年、見玉までのバスの運行は
昭和38年・・・冬季の運行が始まったのが昭和60年・・・・
東京に出る時は見玉まで歩き津南で一泊したという山田寿章さんの話は本当だった。
雪深いときに東京に行かれたのだろう。

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信越 秋山郷 秘境探訪図より

話は志村俊司差の聞き書きというかたちになっているので
読んでいるうちハルエさんの語る声が聞こえてくる感覚になる。

驚いたこと
幼いとき着物が一枚しかなく洗濯している間
素っ裸でこたつにもぐり乾くまで待った

とにかく手のかかる稗を毎日朝食の為に
イススという道具で挽いてアンボを作る準備をしたこと

出産で、お腹をぶつけて沢山の血がでて意識を
失ながらも、産婆さんの助けで母子とも助かったこと

ご主人が発電所の発破でケガをして片目になってしまい、
それでも猟師を続けたこと

ご主人のケガの間生活が成り立たず民生委員に頼んで
生活保護を受けたが、まだ生活が成り立っていないのに
子供がいじめられ、不憫なので生活保護を断って頑張ったこと

などなど

ところでアンボとは
ソバやヒエで作ったがソバは高級品でおいしかったが、
普段はヒエアンボだった。

ヒエのイススふきは固くてなかなか粉にならず、
殻がとれるだけで薄い皮をかぶったままアンボにするが
食感はザラついてしまう・・・がまずいと言わず食べた


作り方
ヒエ粉をコネ鉢にいれ、お湯を入れて
耳たぶくらいの柔らかさにこねる

手を湿して丸め刻んだ菜っ葉(野沢菜)の漬け物を
中に入れて丸く仕上げる。直径10センチくらい。

それをいろりで焼いて食べる

あんぼとおやきの違い
あんぼは新潟では米で作るが、おやきは小麦粉で作る

ハルエさんの家は米、小麦は作らないのでヒエでアンボを作った。


読み終えて
ハルエさんを見習って、強くたくましくそして前向きに
残りの人生を送ろうと思った003.gif



















by gannyan1953 | 2015-09-03 14:26 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷⑥

歴史と素適なおつきあい番外編   2015・9・3

秋山とさよならして林道秋山線で奥志賀高原へ

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なかなかの立て看板
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もっきりやという民宿があり一泊二食で3000円
どんな所だろうと調べてみると結構いいらしい
 もっきりやのホームページをのぞいてみた
営業してる・・・

どうもオーナーさん頚椎症らしい お大事に

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これって苗場山?

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林道秋山線

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奥志賀高原ホテル到着
なつかしくのぞいてみたが雪のホテルしか思い出せない

イケメンおにいさんが馬車の準備をしていた

ひたすらグングン車は低地にむかい
信州中野から中央道、八王子から圏央道、厚木から東名で帰った
料金が高かった
関越からの練馬の渋滞がいやでそうしたので
渋滞はなかったが・・・・・



by gannyan1953 | 2015-09-03 10:07 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷⑤

歴史と素適なおつきあい番外編     2015・9・2


前倉に進む 国道に戻るがやはり道はせまい

蛇淵の滝に向かおうとすると山源木工の人に呼び止められた
スズメバチにさきほど刺された人がいるという
あえなく退散
木工品をみたが、切り株のスライステーブル・・かっこいいが
テカテカでもう少し渋いのがいいと思った

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そろそろお昼で
へいけ茶屋の山菜そば
山菜てんこ盛り・・美味しかった

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新潟と長野の県境
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のよさの里を通り過ぎ和山へ
佐久間象山が滞在したところで屋敷跡があるらしいが、わからなかった
佐久間荘かなと思ったがあとで聞いたら違うという
佐久間象山は一ヶ月ほど滞在し鉱物を調査したらしいが
見込みがつかず帰ったという

銅山があったところであるが栄村のホームページではミステリーとなっている

時代は進み発電所建設において隧道が切明から18キロ下流の
中津川発電所まであるらしい
廃墟地図
行ってみたいがこれは行けない
ネットで楽しませてもらった
もっきりやについても詳しく探索してあった

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切明の中津川
川原の露天風呂へい行く道・・スズメバチでそうなので又退散

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雄山閣でトイレ休憩
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9月のおたまじゃくし
この雪深くなる秋山で、今頃おたまじゃくしのままでどうするのと心配したが、
そのまま越冬するものもいるという(ツチガエル)

切明は水力発電所がありその工事で昔は賑わい大勢住んでいて
秋山の人も沢山働いたそうである
自給自足だった村に賃仕事がはいったわけである
今は人を見ることもなく静かだった

のよさの里に帰る


by gannyan1953 | 2015-09-02 23:42 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)

秋山郷④

歴史と素適なおつきあい番外編    2015・9・2


大秋山村の生き残り

続いて
屋敷の秋山郷歴史資料館を国道ではない道を北に進むと

大秋山村跡




 
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かなりわかりにくい標識の道を右にはいるが、
車を置いて歩いて入った
どうもタクシーはここの案内は車で入ってしまうらしい

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天明3年(1783)の飢饉で全村餓死したといわれる

この秋山の元村で、秋山郷の名の由来である

全員餓死ということだが、菊地山哉の「別所と俘囚」によると、
一名だけ生き残っている。昭和7年に秋山郷を訪れた時の話である。

この秋山村の奥の屋敷部落の人が雪解けを待ってきた時は
全部の人がた斃れており、その中1人の青年にまだ温かみがあるようなので、
屋敷へ担ぎ込み、手当をしたら蘇生したということで、
この青年はその儘屋敷へ引き取られ、現在その曾孫が居るそうです。

土地の人にもっと聞けばよかったが、返答はすべて
全員餓死という答えだった・・・菊地山哉の本、読んでないのかな・・・・

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途中の道だが、ここをタクシーは走るのだろうか

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国道にもどらずそのまま北に進む
国道より道が奇麗である
国道より整備する手続きが簡単なので広く作れるのだという。






by gannyan1953 | 2015-09-02 23:07 | 長野県歴史散歩 | Comments(0)



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