歴史と素適なおつきあい

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岩淵水門を設計した青山士(あきら)

歴史と素適なおつきあい番外編    2018・4・30


赤羽馬鹿祭りを見に行って、さきに岩淵水門を見に行った


荒川知水資料館に立ち寄り、はじめて青山士氏を知った

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パナマ運河工事に従事したときの写真


美形男子である
私は面食いである

気になった

1878年磐田に生まれ東京帝大を卒業、
内村鑑三の影響をうけ
パナマ運河に興味を持った

卒業後パナマ運河工事に携わる

1913年頃ガトゥン閘門の設計をしたという


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パナマのガトゥン閘門


帰国後
内務省に入り

1924年旧岩淵水門の設計をし
荒川放水路工事の指揮をとった


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左の赤いのが青山氏が設計した
旧岩淵水門


信濃川補修工事は、1927年に完成した放水路が
梅雨の増水で壊れ堰の転倒事故が起こった

事故が起こった時
「大事件の前には必ず小事件がある。
小事件をいち早くキャッチすることが
技術者の最大の責任である」

「技術は人なり」

これ聴いたことがある

「手抜き工事は国民への背信行為である」

これはいい言葉ですね

壊れた信濃川の堰はこの青山氏が担当し治した

とにかくお顔がきれいで品格があるのに
惹かれてググってしまいました・・・


参考:ウイキペディア 荒川知水資料館パネル展パンフレット


by gannyan1953 | 2018-04-30 21:23 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

山田孝之の北区赤羽

歴史と素適なおつきあい番外編   2018・4・29

山田孝之の「東京都北区赤羽」・・20014年のドラマ

赤羽の岩淵水門を見にでかけた
ちょうど赤羽では「赤羽馬鹿祭り」を開催
全体ににぎやかな道だった


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左が旧水門





岩渕水門は北区志茂の荒川隅田川を仕切る水門で
かつて荒川放水路といった人工河川を現在荒川といい
かつての荒川を隅田川という。
ここは分岐点である。

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向こう岸は川口

川口というとキューポラのある町を思い浮かべるが
いったい何年前の話なのか

1962年の映画だった

江戸時代から鋳物産業が盛んで
日光御成街道の宿場であった


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上の部分がキューポラ


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川口ヒストリーより


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川口ヒストリーより

キューポラからの煙で霞む

全然今の姿から遠望ではわからない

今度は川口市に行ってみよう

きっと町中にどこか残っていそう


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バザーでもやっているのかと思ったら長屋のような
キャンプ場

もう少し広々と、バーベキューやりたいな


王子に近づくと遠くから太鼓やら
吹奏楽が聞こえてくる


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祭りの人ごみを避けたら
あらま
ワニダがあった
オーナーさんは
ドラマに出演していらっしゃいました

ここからはドラマのロケ地になります




これは前回です

今回まわっていなかった場所を探しに・・



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亀の池弁財天


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亀は国産もあれば外来種もごっちゃ
小さな池に亀がいっぱい


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山田君がお菓子買いにいったお店

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左のマンションが山田君が住んでいたマンション
歩けば結構赤羽から遠い
でも住所は赤羽西

ロケ地探しはここで終了
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にぎやかでした


電車で十条駅から王子に行こうとしたら、
埼京線だった・・王子を通らない・・

仕方ない
王子まで歩こう

道に迷い随分歩きました
と思って地図を作ってみたら

迷っているようでちゃんと
王子に向かっていました














by gannyan1953 | 2018-04-29 17:43 | 東京都 歴史散歩 | Comments(1)

ちょっとディープな王子散歩


中川歴史ウォーキング41    2018・6・16

バラが咲き誇る古川庭園、それから王子稲荷のきつね様に会い
戦争遺跡(陸軍兵器工場や陸軍造幣廠)を訪ねます

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ベビーメタル仕様の狐面


集合:9:45  南北線「西ヶ原」駅 改札口

西ヶ原駅・・平塚亭・・平塚神社・・古河庭園・・無量寺・・一里塚
・・醸造試験場跡地・・王子神社・・王子駅周辺で自由ランチ・・装束稲荷・・
王子稲荷・・北区中央図書館(軍需工場跡)・・中央公園文化センター(兵器工場跡)






歴史
西ヶ原は先土器時代から人が住み、現在でも北区で良好な
住宅地となっている。
豊島郡の郡衙があり、中世には豊島氏の支配となり
源義家が世話になった豊島氏に鎧を贈っている。
江戸寺時代に日光御成街道が通り一里塚が残る。
飛鳥山は将軍吉宗が庶民のための行楽地とした。
明治になると王子や赤羽根に軍需工場が造られ
戦争遺跡を残す。

平塚亭
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大正初期から営業され、だんごは作家内田康夫の
「浅見光彦シリーズ」で有名である。
小説では浅見家が近くにあるという設定になっており
浅見光彦の住民票も作られ
北区役所で一通500円で住民票が売られている。

平塚神社
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平安末期に平塚城があった。
後三年の役の帰りに源義家が豊島氏のいたこの地に訪れ
そのもてなしに感謝し鎧を授けた。
豊島氏が鎧を埋め塚を造ったことに由来する。
豊島氏は太田道灌に滅ぼされる。

古河庭園
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明治に睦奥宗光が土地を購入し別宅とした。
睦奥宗光の次男が古川財閥の古川市兵衛の養子となり、
2代目となり古河家の所有になった。
大正3年(1914)3代目古河虎之助が周囲の土地を購入し
本宅用として整備をした。3年後にジョサイア・コンドルにより設計され
西洋館、洋風庭園ができた。
市兵衛は足尾銅山に投資し「銅山王」といわれ
背後に足尾鉱毒事件や激しい労働争議をかかえていた。
睦奥宗光の次男は若くして亡くなり側室との子の虎之助が当主となり
銀行を設立するなど多角化をすすめ古河財閥の基盤を確立した。
そのころこの邸宅が作られた。
関東大震災のとき避難者を受け入れここを解放し救済した。
労働争議で疲れ、震災の救済で信仰心も生まれ
ここを会社の迎賓館とし、自らは質素な生活を求め牛込に転居した。
西郷従道の孫を養子に迎え満州事変から古河財閥は栄えた。
太平洋戦争末期に陸軍第9師団の将校宿舎となり、戦後は連合軍が接収、
財界解体で所有は大蔵省になった。5代目古河潤之助は2018年3月に82歳で
亡くなった。
その後公園になった。
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山田君自販機


無量寺  真言宗豊山派
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6月 



平安時代からあったといわれる。
江戸時代将軍綱吉の生母桂昌院が参詣している。
もとは長福寺だったが、将軍家重の幼名が長福丸
だったため無量寺と改めた。
猫に優しい美しい寺である。
外国人も多く訪れている。

西ヶ原の一里塚
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日光御成街道の2つ目の一里塚であるが
撤去されようとするところ王子に住む
渋沢栄一を中心とする地元住民により
撤去は免れた。旧位置を保つ貴重な一里塚である。

醸造試験場跡地
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レンガの建物があり、国立の機関で日本酒造りの近代化と
酒類産業の発展のために明治37年に造られた。
設計は横浜の赤レンガ倉庫や神奈川県立博物館を造った
妻木頼黄(よりなか)で、東大でジョサイア・コンドルに学んだ。

王子神社
新編武蔵風土記稿に源義家が後三年の役の帰りに
鎧を授けたことが始まりで、王子の地名の由来となっている。
豊島氏が熊野から若一王子を勧請した。
境内に 蝉丸を祀る関神社がある。

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蝉丸は宇多天皇、醍醐天皇の子と定かではないが、
百人一首え有名である。姉の髪が逆立ち人々に笑われるのを
嘆くので、カツラを作ってあげたという。
それでこの神社はかつらの神様であるという。
東海道歩きをしたときに蝉丸神社分社だったかと思うが
寂しく荒れていたという記憶がある。

装束稲荷 祭神 ウカノミタマノ神
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関東八ヶ国の稲荷の使いが王子稲荷へお参りに行く時
この装束稲荷の榎木の下で装束に着替え練り歩いた
という言い伝えがあり、安藤広重の錦絵にある。
狐火が続き昔はその数で翌年の作物の吉凶を占った。

現在では大晦日の行事として狐面をつけて
練り歩く。
向かえの店は王子ヤマワできつねグッズ、今戸焼き、狐のガチャガチャなど
楽しい店である。最初の写真の狐面を購入した。

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装束稲荷の狐様はモダン

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王子稲荷神社 祭神 ウカノミタマノ神
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源頼義(よりよし・義家の父)が奥州征伐の祈願に
立ち寄り、関東の総稲荷としたと伝わる。
西暦1060年には存在したという。
きつねの穴もある。

落語「王子の狐」

王子稲荷の狐は人を化かすと有名だった
狐が美女に化けるのを見た男は声をかける

「お玉ちゃん、食事でもしないかい」
「あら熊さん お久しぶり」

料亭扇屋に上がり込み油揚ならず天婦羅を出され
お玉ちゃんはすっかり酔いつぶれ眠ってしまった

男は土産に卵焼きを包ませ「勘定は女が払う」と
言ってさっさと帰ってしまった

目が覚めたお玉ちゃん、男が帰ったと聞いてビックリ、
耳が立ち尻尾までにゅっと出てしまった
店の人もそれをみてビックリ、追いかけた
ほうほうのていでお玉ちゃんは逃げ果せた。

男は翌日友人宅に扇谷の卵焼きを持ってでかけた
そこで「狐を化かした」と吹聴するが
「狐は執念深い 馬鹿なことをしでかしたものだ」と脅され謝りにいくに

狐の穴の近くにいた子狐に手土産と謝罪を言付かった。
子狐は「昨夜はひどい目にあった」と穴でうんうん
うなっている母狐に手土産を渡した。
中身はぼたもちで子狐は
「かあちゃん 美味しそうだ
食べてもいいか?」
母狐「いけないよ 馬の糞かもしれない」


今でも 扇屋さんは甘い卵焼きを販売しています
売り切れが多いですが

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きつねのお穴

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名主の滝公園

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江戸時代王子村の名主畑野孫八が屋敷内に滝を開き
茶を栽培して避暑のために一般に開放したことがはじまりである。

ちんちん山児童公園
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軍需品を運ぶチンチン電車があり、
そのトンネルがあった
軌道の跡である
一帯の陸軍砲兵工廠の工場を結ぶ鉄道跡である
真ん中のだんごのが積まれたようなマークが
砲兵工廠のマークになる


北区中央図書館
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大正時代に建てられた東京砲兵工廠の275号という建物が
現在図書館として使用されている。
都響砲兵工廠は小石川(後楽園)から明治38年(1905)に
十条に移転、設計は陸軍省である。
この建物は弾丸鉛身場として大正8年に建設、54mあり
梁は中央に鉄骨の柱、鉄骨の2つのトラス(三角形の集合体構造)
で2連棟の形式でできている。レンガは北区内で作られており
関東大震災でも壊れず高度な技術で作られた建物である。

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面白い看板


中央公園文化センター
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東京第一陸軍造兵廠があり、陸軍で使われる銃弾などの
兵器を製造していた軍用地だった。この建物はその本部で、
昭和5年(1930)に建設された。
戦後米軍に接収され東京兵器補給廠となった。
一部自衛隊の駐屯地として使用したがほとんどが米軍の
キャンプ王子となった。ベトナム戦争のときは野戦病院が
あった。昭和43年(1968)ころ全学連などの反対デモが展開された。
学生の投石を止めに入った一般人が投石で左目負傷、失明となり、
巻き込まれた一般人1人が死亡している。
こうしたことで、昭和46年(1971)に返還され、のちに北区の中央公園と
して開園された。
白い建物だが元は茶色のタイル張りだったが、米軍が白く塗り替えた。

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ボイラー

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煙突の一部

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角材や投石で警官隊と衝突する学生(米軍王子キャンプ正門前)=株式会社朝日ソノラマ
社発行の「朝日ソノラマ」(1968年5月号)から
もの書きを目指す人びとへ わが体験的マスコミ論 岩垂 弘(ジャーナリスト)より


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王子駅の小さなトンカツ屋さんで
ハンバーグランチ







 










by gannyan1953 | 2018-04-22 11:07 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

東急東横線廃線跡と鉄ちゃんの神奈川宿ぶらーり

中川歴史ウォーキング                2018・5・19(土)

今回は鉄ちゃん(G氏)のご案内です


集合:9:45 東急東横線 東白楽駅改札口


本日のコース

東白楽駅―二ッ谷公園―新太田駅跡地―反町駅―高島山トンネルー神奈川駅跡―本覚寺―

三宝寺―高島山公園(望欣台の碑、弁玉の歌碑)-神奈川台の関門跡―台町の茶屋―

大綱金刀比羅神社、一里塚跡―青木橋(神奈川停車場跡)―宮前商店街―洲崎大神―

幸ケ谷公園(権現山合戦跡)-宗興寺―滝の川、滝の橋―慶運寺―滝の川公園―成佛寺―

神奈川地区センター高札場―熊野神社―金蔵院―貨物線跡(仲木戸駅ホーム下)-上無川跡―

神明宮―能満寺―笠のぎ稲荷神社―良泉寺―神奈川新町駅

東横フラワー緑道

2004年のみなとみらい線開業に伴い、東横線部分の東白楽から横浜までが地下化、地上の線路は廃止され線路跡が緑道として整備された。緑道の目玉は高島山トンネルで列車が走っていた時代の雰囲気を残しつつ歩きやすく整備された。緑道には線路が埋め込まれていたり、換気口からは地下の列車走行音が聞こえ、鉄ちゃんにはたまらない。トンネル出口には東京横浜電気鉄道神奈川駅があった。(昭和3年廃止)

本覚寺

曹洞宗、1226年創建。

山門は幾度の災害に見舞われた神奈川宿の中で唯一残された江戸時代の建物。開港当時、ハリスが、横浜港を見渡せるここをアメリカ領事館にした。

三宝寺

1851年に住職になった第21世住職弁玉和尚が有名。長歌を橘守部、短歌を岡部東平に学び江戸末期から明治初期にかけて活躍した歌人、高島山公園に歌碑がある。

高島山公園

高島嘉右衛門は安静から大正にかけて活躍した事業家。横浜で日本初のガス事業を起こすなど多義にわたり活動。新橋―横浜の鉄道開通の前年、神奈川湊を埋め立て、当時の青木海岸から野毛浦をショートカットする形で線路を通すための築堤を完成させた。彼はこの丘の上から埋め立てを指揮し、後年はこの地に住んだ。そのため、埋立地は高島町、この丘は高島山と呼ばれる。彼を顕彰する望欣台の碑が立っている。

神奈川台の関門跡

横浜開港に伴い、幕府は攘夷派武士と居留外国人とのトラブルを避けるため、関内に至る道の要所に関門を設けた。

台町の茶屋

眼下には神奈川湊があり景勝の地、神奈川宿随一の観光名所の台町には茶屋が並んでいた。

大綱金刀比羅神社

頼朝が信仰した飯綱社と江戸初期に海運の守護神として祀られた金刀比羅神社が明治44年に合祀された神社。天狗信仰が残る。

鳥居横に江戸から7つ目の一里塚があった。

青木橋

台町と宮前商店街の街筋はかつて直線状につながっていたが、鉄道施設のため分断、陸橋がかけられた。この橋の少し横浜寄りに神奈川停車場(国鉄:明治5年、横浜電気鉄道(のちの市電):明治37年、京浜電気鉄道:明治38年)があった。

洲崎大社

石橋山の戦いで敗れた頼朝が再起を祈願した安房の安房神社の神をこの地に招いたのが始まり。江戸時代は神社前の道を海側に行くと、第一京浜あたりが船着き場だった。

幸ケ谷公園(権現山合戦跡)

かつて権現山と呼ばれ、向かいの本覚寺のある丘とは、鉄道施設のために開削されるまでは丘つづきだった。16世紀初め、権現山には関東管領上杉家の家臣でありながら、北条早雲に内通して主君に反旗を翻した上田蔵人の砦があった。管領方2万人に包囲され砦は陥落した。

宗興寺

曹洞宗。室町中期の創建と伝わる。

開港当時、アメリカ人宣教師で医者であるヘボン博士が施療所を開設。これを記念する石碑がある。 Hepburn→平分(ヘボンと聞こえた)

滝の川、滝の橋

神奈川宿を潤していた川、今はほとんどが暗渠化。権現山から流れ出る水が滝となって落ちていたのが由来との説。滝の橋は宿のほぼ中央にあり、両側に2つの本陣が置かれ、江戸側が神奈川(石井)本陣、反対側が青木(鈴木)本陣。

滝の川には「河童のくれたされこうべ」という河童伝説がある(滝の川公園に河童伝説のレリーフがある)。

慶運寺

浄土宗、1447年創建。

開港当時、フランス領事館。浦島丘にあった観福寿寺が慶応年間の大火で焼失、浦島伝説にかかわる記念品がこの寺にもたらされた。以来「浦島寺」とも呼ばれる。神奈川宿にも「浦島伝説」があり、この境内に太郎が竜宮から持ち帰った観音像を祀る観音堂がある。(子年観音)

ここの浦島伝説では、太郎は竜宮城へ帰ったそうな。

2017年に「ユネスコ世界記憶遺産」に認定された「朝鮮通信使」の宿舎があった。

成佛寺

浄土宗、鎌倉時代後期創建。開港当時、アメリカ人宣教師(ヘボン他)の宿舎にあてられた。

神奈川地区センター

神奈川宿のジオラマは必見。

高札場(復元)

幕府の法度、掟、駄賃を庶民にしらしめる掲示板。滝の橋の東詰め袂にあったものを復元。

熊野神社

1087年紀伊の熊野権現が権現山へ勧請された。その後、江戸中期に別当寺の金蔵院境内に移された。明治初め、神仏分離令で分離。何度かの災害を生き延びた「火防の銀杏」、市内最大級の狛犬がある。

金蔵院

真言宗。1087年(寛治元)創建。宿唯一の勅願寺。

貨物線跡

横浜線を延伸させた貨物線が瑞穂埠頭に近い海神奈川駅まで通っていた。海神奈川駅は明治44年開業、昭和34年廃止。官鉄が強く、京急が高架にさせられた。

上無川跡

上流がどこか判らない小さな川ご昭和初期まで流れていた。神奈川の地名由来の一つになっている。「カミナシガワ」→「カナガワ」

神明宮

江戸時代には能満寺に所属、神仏分離令により、分かれた。かつて境内を流れていた上無川に牛頭天王のご神体が現れ、洲崎大神およびこの神社に牛頭天王を祀ったとの伝説有。また、境内にある梅の森稲荷には、若い女旅人にまつわる哀れな話も伝わる。

能満寺

真言宗。1299年(正安元)創建。内海新四郎光善という漁師が海中から虚空蔵菩薩を拾い上げ、これを祀ったと伝えられる。

笠のぎ稲荷神社

平安時代中期、浦島が丘(現、白幡東町付近)にあった稲荷神社を分祀。社前を通る人の笠が自然に脱げ落ちることが社名の由来とされているが、できものの瘡蓋が落ちて治癒することのたとえとも推定されている。笠脱稲荷と呼ばれていたが笠のぎ稲荷と改めた。

良泉寺

浄土真宗。開港時、屋根瓦を壊してまで外国領事館になることを拒否したと伝わる。

神奈川新町駅

約200メートル東京寄りに宿の江戸口があった。

すぐ横に京急の電車区があり入出庫電車がみられる。

鉄道知識1:現横浜駅は3代目。

初代横浜駅

明治5年:新橋―品川―川崎―鶴見―神奈川―横浜 開通。神奈川―横浜間は高島嘉右衛門が海中に築造した弓状の突堤を利用。終点横浜は今の桜木町駅。

明治20年東海道線が横浜―国府津開通。ネックは横浜駅でのスイッチバック。このため横浜駅を経由しない短絡線を神奈川―程ヶ谷に明治31年施設。明治34年平沼駅を設置。

二代目横浜駅

輸送量増大に伴い貨物線、旅客線の分離、汽車と電車の分離など抜本策を新橋―程ヶ谷で実施。

大正4年東海道線のすべての列車が方向転換せずに横浜駅を発着できるように高島町に横浜駅を移転、短絡線と平沼駅は廃止。

三代目横浜駅

大正12年の関東大震災の復興計画で東海道線 神奈川―程ヶ谷間は直線化し、横浜駅を高島町から旧平沼駅跡東方付近に移転、「中央停車場」として、ここから桜木町方面へ分岐することに。

昭和3年駅舎完成、鉄筋コンクリート2階建て、東洋一と言われた。

横浜駅はM5-T4-S3と語呂合わせで代替わり。

鉄道知識2:日本の鉄道レールの幅(mm)

1435(標準軌):新幹線、京成、京浜、メトロ銀座、丸の内、都営浅草、関西私鉄

1372(馬車軌道):京王、東急世田谷、各都市路面電車

1067(狭軌):JR、私鉄、関西南海

 762(ナロー):近鉄(三重県)、森林鉄道

世界には1676:インドゲージ、1524:ロシアゲージあり

鉄道知識3:4つの神奈川駅

昭和3年三代目横浜駅開業に伴い廃止、京浜急行のみ青木橋東側に移設、存在。

次回6月16日 9時45分 東京メトロ南北線 西ヶ原駅改札(半蔵門線永田町乗換が便利)


by gannyan1953 | 2018-04-18 09:51 | 神奈川県の歴史散歩



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