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歴史と素適なおつきあい

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高橋是清さんすごい!

歴史と素適なおつきあい番外編

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 高橋是清

2月のウォーキングは「麻布大観音のパワー」をいただきに行く

途中 高橋是清翁記念公園に立ち寄る。

日経新聞の記事にすごい人生が載っていた。

歴史学者 本郷和人さんの記事である。

奴隷には驚いたが
アメリカ行きは13歳
船でお酒を飲んでみせたという
13歳までに
女の子にいたずらまでする
悪ガキだったようである

帰国してから
ペルー銀山への投資やら、
畜産事業にも手を出し、
銀相場にも手を出した

これら全部失敗!

芸者のヒモになったこともある。

でも日銀では海外の投資をもらうために
尽力している

日露戦争の資金繰りに困り
イギリスの銀行家や
ニューヨークで活躍するユダヤ人から投資してもらった。

日本は必ずロシアに勝つと言ったらしい

結局日露戦争の影の立役者は高橋是清だった

英語の先生を2度程したが、

教え子に

辰野金吾や
正岡子規もいた。

だまされやすい人柄

かわいい人だったのかもしれない

以下

「麻布大観音でパワーをもらおう」
の記事

「だるまさん」の愛称で親しまれた
高橋是清邸があった場所である。
2000坪あった。邸宅は東京たてもの園に
移築されている。
高橋是清は大蔵大臣を6回も歴任し、
内閣総理大臣にもなっている。
日本の経済を何度も立て直し
大蔵大臣として評価されている。
江戸末期仙台藩士の子として生まれたが、
母は正妻ではなく足軽の高橋家にもらわれた。
勉強がよくできたのでヘボン塾に通い、
アメリカ留学をするが、意味もわからず
書類にサインをして奴隷として
その家の使用人に50ドルで売られた。
働く間英語も勉強し、なんとか奴隷の
契約書を破棄する事ができた。
帰国するがが維新後のことで
仙台藩は逆賊となっていた。
そこで治外法権のある外国人として
入国し、サンフランシスコで出会った
森有礼の紹介で文部省に入省、
それから総理大臣にまでなった人である。
2・26事件で殺害される。
インフレが起きそうな経済立て直しに
軍部の予算を減らそうとした事から
2・26事件の標的となった。








by gannyan1953 | 2019-01-27 11:43 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

映画 この道

歴史と素適なおつきあい番外編  2019・1・23


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気づいたら映画「からたちの花」あと2日でおしまい!

童謡誕生100年を記念してつくられた映画。

私たちは、「からたちの花」というグループ名で
篠笛とピアノの伴奏で演奏している。
 
映画の冒頭

白秋が亡くなり10周年の演奏会が
小田原で開かれた。

最初に「からちの花」アンコールは「この道」

あらあら私たちの企画通りの曲目。

困ったような嬉しいような。









小田原の道はとても好きだが小田原の観光協会には

地図もない

今回の映画で
人が多く歩いてくれるといいな

白秋には3人の妻がいる

一番目の妻は映画に出てくる敏子さん

ほんとに美しい人だったようである

白秋は不倫した

敏子さんの夫に姦通罪で訴えられ逮捕される

白秋が留置された拘置所は市ヶ谷にあった






このブログの刑死場とあるところである

その後敏子さんと結婚し三浦半島に
住んでいた時
「城ヶ島の雨」が書かれた

敏子さんは
白秋と別れたあと、
国立音大の舎監になっていたようである。


2番目は章子さん。

貧窮生活も一緒に過ごした奥さんだが、
どうも不倫したらしい。

白秋は許さず離婚。

離婚後、章子さんは最初は柳原白蓮をたより、
その後も結婚したり離婚したり
お寺に入ったり、
最期は精神に異常をきたした。
激しい人生だったようである。

3人目は 菊子さん。
普通のあたたかい家庭というものを築いた人で
晩年、白秋は幸せだったのだろうか。

ところで、
演奏していてだんだん恐ろしくなってくる曲がある

曼珠沙華」とかいて
ひがんばな

映画に出てきた


ラジオ放送だったと思うが

当時どのような気持ちで聞いたのか
知りたかった

ゴンシャン ゴンシャン どこへ行く
赤いお墓の 曼珠沙華(ひがんばな)
今日も手折りに きたわいな

ゴンシャン ゴンシャン 何本か
地には七本 血のように

ちょうどあの児の 歳の数

ゴンシャン ゴンシャン 気をつけな
一つ摘んでも 日は真昼

ゴンシャン ゴンシャン なし泣くろ
いつまで取っても 曼珠沙華
曼珠沙華

恐や赤しや まだ七つ


ゴンシャンは良家の子女という意味である

好きだったお嬢さんの成れの果て・・辛い姿なのか

発狂した良家の子女か、

白秋自身の恐怖から来る妄想か・・・

梅若伝説の子を思い探し求め
狂女となった母の姿か


どんな解釈をしていいのか

ずっと考えている
 
さいごに


彼岸花 「雪と花火」より

作詞 北原白秋
作曲 宮原禎次

 
にくい男の心臓を 針でつかうとした女
それはいつかのたはむれ、晝寝のあとにはつとして

今日も驚くわが疲れ 

にくい男の心臓を 針でつかうとした女
もしや捨てたらきつとまた どうせ濕地しめぢの彼岸花

蛇がからめば身が細る

赤い濕地の彼岸花 午後の三時鐘が鳴る

こんなの見つけた

彼岸花 曼珠沙華
両方書いていた

これもおどろおどろしい・・・・










by gannyan1953 | 2019-01-25 09:56 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

70YEARS LIVE 『OLD GUYS ROCK』に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2019・1・20(日)


またまた縁あってジュリーの
70YEARS LIVE 『OLD GUYS ROCK』に行ってきた

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2時半
武道館へ

ジュリーの声は変わらなかった
長くのばすと少しダミ声になるが
きれいな声で歌っていた

感動した

太って悪いか・・
もう70歳なんだから
好きに行きたい

共感しました

ありがとうございました
勇気がでました

ジュリーの前に
歴史散歩

まずは平将門様の築土神社へお参り

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九段下にくるとできるだけお参りしている

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奥にある石碑が今日のお目当て

太平洋戦争の空襲の時
当時の社司さんが世継稲荷のご神体を抱えたまま
焼死されたそうで

南無阿弥陀仏


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世継稲荷


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九段会館工事中
九段会館は東日本大震災で被災し
人も亡くなっている

2・26事件にもかかわり
歴史的建造物だが、完全取り壊しではなく
一部保存の形で再建されるらしい

靖国神社
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気になった場所
本殿の左にある
ちょっと見辛いが

囲われた地面に注連縄

他の神社での記憶では
神聖な場所で

神が降臨したりする場所

と記憶している
どちらかというと古代祭祀に近いものだ

靖国は新しい・・・

そこで聞いて見た

靖国に入っている御霊を
「しょうこん」する場所だそうだ

私は「昇魂」と受け取ったが、
あとでよく考えたら
「招魂」だったのか

鎮霊社や、御霊社と近いが、違う場所にある

靖国神社の境内案内には載っていない

もう少し調べる必要があるが、
ネットにはのっていなさそうである。

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神道無念流

斎藤弥九郎が開いた練兵館跡で
靖国神社ができるため立ち退きをした。
長州藩の桂小五郎(木戸孝允)高杉晋作、伊藤博文
品川弥二郎など門下生だった













by gannyan1953 | 2019-01-21 14:31 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

ファントム 宝塚

歴史と素適なおつきあい番外編   2019・1・16


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今日は縁あって 宝塚「ファントム」を観劇してきました。

望海風斗さんの舞台でオペラ座の怪人のお話です。

原作とは違うお話になっていますが、
とても話の筋と、気持ちがよくわかり、
涙を流しながらの観劇でした。

歌も踊りも素晴らしく
上質なミュージカルをみてきた感じでした。

8800円は安かった!

日比谷ミッドタウンでお茶してきました。


帰宅したらなんと
武道館の沢田研二さんのチケットが
手に入るという知らせ。

是非是非
行ってきます!

久しぶりのジュリー!

お会いできる日を
楽しみにしています。




by gannyan1953 | 2019-01-16 20:24 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)

橘樹郡の古代を訪ねて

歴史と素適なおつきあい   2019・2・8(金)

都筑郡の隣に橘樹(たちばな)郡がありました
古代の役所の成立から終息までわかる
橘樹官衙(たちばなかんが)遺跡は
7世紀から10世紀に人々が集まっていた古代の場所でした


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影向寺

集合:9:50 梶ヶ谷駅 バスに乗ります 昼食は川崎市民プラザです

梶ヶ谷(バス)上野川・・影向寺・・橘樹官衙・・能満寺・・
野川神明社・・川崎市民プラザ・・西福寺古墳・・馬絹古墳

橘樹(たちばな)郡の歴史

武蔵国の郡で横浜、川崎北部にあった。
縄文時代の子母口(しぼくち)貝塚、
弥生時代の影向寺、野川神明社周辺の遺跡がある。
古墳時代には多摩川周辺に多くの古墳が作られ
534年の「武蔵国造の乱」後に献上された
橘樹屯倉が川崎から日吉にかけて
あったと推測されている。

「武蔵国造の乱」とは、
6世紀に起こった笠原使主(おみ)と同族の小杵(おき)の
国造の役職を争った戦いで、
使主は埼玉古墳群、小杵は多摩川駅近くの
亀甲山古墳、芝丸山古墳を比定されている。
埼玉古墳群の方が大規模なため、
使主の勝利といわれている。

7世紀以降、大和政権の律令制のもと、
武蔵国橘樹郡となった。
郡名の由来は
ヤマトタケルとオトタチバナヒメの伝説からで、
身を投げたヒメの衣服がこの地に流れ着いたという
いわれから橘樹神社が建てられた。

影向寺は官衙の郡寺であった可能性が高い。
郷は影向寺・横浜市港北区高田・
北加瀬、南加瀬・川崎市高津区下作延の4つ
だといわれる。
のちに末長(富士通ゼネラルあたり)が加わった。

府中の武蔵国府につながる府中街道が整備され
穀倉地帯としていち早く農業が発達したところである。
そして影向寺の創建、馬絹古墳が建造される。

奈良時代に官道の東海道があり、
小高駅が置かれ荏原郡の大井駅に向かう
人々は丸子の渡しを使った。
足柄道(大山街道)が官道として利用され始める。

鎌倉時代は幕府の御家人稲毛三郎が枡形城を構え
摂関家の荘園となり稲毛領とよばれた。
室町時代は後北条氏の所領となる。

今回は橘樹官衙跡、古墳を訪ねる。

影向寺
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天平12年(740)創建と伝わる。
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発見された瓦
素弁八葉蓮華文軒丸瓦
(そべんはちようれんげもんのきまるがわら)

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奈良県山田寺発掘の瓦で
よく似ている
白鳳期の瓦だという



創建時の瓦が発掘され白鳳末期のものと認められ
天平より50年ほど遡るのではないかといわれる。
最初私寺だったのが、律令制に組み込まれ
公寺になったと考えられている。

縁起に天平11年(739)光明皇后が目を患い、
聖武天皇は夢で「武蔵国橘樹郡の霊地に霊石がある。
石には清浄な水が湛えられここに伽藍を建立し、
薬師如来を安置すれば御平癒する」と告げられた。
早速行基を遣わし、皇后の病気は平癒したという。
翌年伽藍が建立された。

このあたり蔵骨器(骨壺)の出土が
全国的に見て多くあるのが特徴で、
火葬の風習は位の高い人物にされるので、
官人の多くは渡来系またはそれらと結びつく人が多かったと
思われる。従って渡来系指導者の寺院建立があったといわれる。

影向寺に薬師三尊が安置されている。
覚大師(794〜864)の作といわれる。
寺の活動に財力があったと思われるので
有力な人物の後ろ盾があったと考えられる。

薬師堂は最初の建立と場所に建っている。

影向石
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釈迦の仏舎利を納めた塔の心礎石で、近世になり
そのくぼみに溜まる水が眼病に効くと信じられ
多くの人がお参りした。
影向とは神仏が憑依することで憑依する木や石が必要だった。
火災で本堂が焼け落ちたとき、薬師が自ら石の上に乗って
難を逃れたといわれる。
栄興、養光といわれ寺名が「影向寺」となった。

乳イチョウ
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乳柱を削って飲むと母乳がよくでるといわれる。

橘樹官衙跡・たちばな古代の丘緑地
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伊勢山台という標高40mくらいの丘にあり、
掘立柱建物、塀、柱穴などの遺構がある。
稲を貯蔵したり、武器や税物などの収蔵庫があった可能性がある。

大宝元年(701)から真北方位の郡衙、正倉の勅が出ており

それに対応する施設が作られたといわれる。

9世紀になると小型の建物が多くなり

廃絶に向かったと思われる。

発生から廃絶までの歴史を辿る事が

わかる重要な遺跡である。


能満寺

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天台宗で行基創建とされる。本堂が元文4年(1739)に建立され

本尊の木像虚空蔵菩薩、木像聖観世音菩薩立像が安置されている。

虚空蔵菩薩は明徳元年(1390)鎌倉の仏師朝祐によって

造られたことが墨書銘によりわかる。

深大寺の末山といわれる。


野川神明社

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縄文時代より人が住んでいたことから

創建は古いと思われる。江戸期には韋駄天社と称し

明治41年韋駄天社、子神社、神明社、大六天社が合祀され

神明社となった。

縄文前期の家の跡があり、集落があり、影向寺の西、第三京浜で

なくなったが貝塚があった。縄文前期には遺跡の周囲は

海岸がせまっていたと考えられる。

弥生後期の墓地が発掘され方形周溝墓だったことがわかった。

現在 韋駄天の像が作られアスリートたちの参詣がある。


西福寺古墳

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5世紀後半から6世紀はじめにかけて

築造された古墳で馬絹・梶ヶ谷古墳群のひとつである。

周溝があり円筒埴輪がぐるりと立っていたと思われる。

墳頂はややへこんでいるので

横穴墓があったと推測されている。


馬絹古墳

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副葬品が盗掘されて明確な時期はわからない。

内部に大きな石室があり、

唐尺(とうじゃく)が使用されていること、

切組積で石室が作られていることから

7世紀後半の古墳と思われる。

築造技術は精緻で石室内の装飾は

古代朝鮮半島の古墳の影響を

強く受けていると思われる。

埋葬された人物は高い分かレベルを持ち

政治力、経済力があったと思われる。


馬絹神社

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女体権現社と称し馬絹村の鎮守。
元禄年間(1688〜1704)の創建と伝わる。
昭和61年馬絹神社と改称した。
元禄より前に創建されたとも言われており
伊勢神宮の遥拝の地といわれる。
















by gannyan1953 | 2019-01-03 14:00 | 神奈川県の歴史散歩 | Comments(0)

2019年新春

歴史と素適なおつきあい番外編   2018・1・1

あけましておめでとうございます
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2018年12月31日の富士山
お掃除、おせちと昨日まで頑張ったので
おひとりさま高尾山を楽しみました
今年もよい年でありますように!




by gannyan1953 | 2019-01-01 00:00 | 東京都 歴史散歩 | Comments(0)



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