歴史と素適なおつきあい 室内学習
城峯神社のご眷属 祭神は平将門 世界のオオカミ信仰 秩父は際立ってオオカミを眷属とする寺社が多い。 世界でも、オオカミは古代から信仰の対象になっていた。 ①ギリシャの先住民は、狼は畑の作物を食い荒らす動物から守ってくれると思い信仰した。 ②太陽は天の父であるというケルトの民は夜になると狼が太陽を飲み込むと思った。 ケルトが怖れたのは「天が落ちる」ことだったので、天より狼が強かったことになる。 ③北欧神話では天災の象徴に狼が使われる。日本の龍の存在か。 ④スキタイの民ネウロイ人は1年に1度狼に変身し元に戻るという。(歴史家ヘロドトス) ⑤モンゴルではチンギスハーンの始祖は蒼き狼だという。モンゴル民族の始祖はチノアで、チノアは狼のことで、母は白い鹿である。蒼いは漢語では灰色のことだという。 だが、チンギスハーンの伝説:蓮見治雄によると、モンゴルでは狼は神ではない。狼は家畜を襲う憎い対象であるという。 ⑦トルコ系の遊牧民族にも狼を始祖とする伝承がある。(歴史知とフェティシズム:石塚正英) 日本のオオカミ信仰 国立科学博物館のニホンオオカミ 青文字は2024年に国立博物館が 発表した中学生を含む論文です。 快挙です! Googleの翻訳を利用しました。 国立科学博物館(NSMT)に寄託されているイヌ属に属する未知の種の表皮が、形態学的および書誌学的に証明されています。 標本ラベルには「山犬の一種」と東京帝国博物館所蔵のM831と記載されているが、標本カタログにはM831は上野動物園で飼育されていた個体由来で、その後処分されたと記載されている。 この標本は別の標本と混同されているようでした。 そこで、この標本の形態学的特徴を調査し、Canis sp. の歴史を追跡しました。 東京帝国内博物館所蔵の標本とCanis sp. 上野動物園で飼育されている。 その結果、この取り付けられた皮膚の測定値は、以前にニホンオオカミとして特定された標本の範囲内であることが合理的でした。 この標本には正しく「M831」とラベルが貼られていることを確認しました。 この標本 M831 は、1888 年に日本の岩手県から上野動物園に到着した 2 頭のオオカミのうちの 1 頭であると考えられています。したがって、この標本はニホンオオカミであると考えられています。 この研究により、これまで見逃されていた新たなニホンオオカミの皮の標本が明らかになった可能性があります。 ヤマトタケルは東夷平定の帰りに、甲斐の酒折宮から、武蔵の秩父、奥多摩を通過、 上野へ向かって碓日坂(碓氷峠)を越えて信濃に入った。お腹が空いたので、信濃の山中で食事をした。 山の神は彼を苦しめようと白鹿になってヤマトタケルの前に立った。ヤマトタケルはいぶかしみ、 一箇蒜(ひとつひる)で白い鹿をはじいた。一箇蒜とはニンニクのことである。 それが目にあたって死んだ。それからヤマトタケルは道に迷ったが、 どこからか白い犬がやってきて道案内をしてくれたおかげで、美濃にでることができた。 この話から秩父、武蔵にはヤマトタケルに因んだ神社が多く、「大神」はオオカミとなった。 ニホンオオカミは、ハイイロオオカミの亜種という見方があるが、限られた遺伝子集団で 日本にきて孤立化したともいわれている。 オオカミ信仰は有史以前、弥生時代にすでにあったと発掘史料から考えられている。 奈良時代、万葉集にオオカミを畏れて「大口の真神」と歌ってある。 オオカミは当時の人々の間で畏れをもたれていたのである。 その後山岳信仰や妙見信仰の影響をうけて浸透していったが、 特に秩父、多摩では地形、オオカミの棲息の多さで、今に至ってもなお信仰が続いている。 三峯神社をはじめオオカミを眷属として祀り、江戸時代後期には護符も配られるようになった。 護符の功徳は、火難、盗難、農難、蚕難、疾病平癒などだが、とりわけ狐憑きの加持祈祷も行われた。 オオカミの頭骨の一部を削って飲用され、そのためこの地方ではオオカミの頭骨は完全な形で残らないものが見つかっている。 頭骨が民家の棚に大切に保管され、守り神とされている家もある。 たまに頭骨はまじないや、守り神、「狐憑き」治療に借り出されることもあった。 幕末ペリー来航以来、あ免里加狐(あめりかぎつね)や千年も具ら(せんねんもぐら)がやってきたといわれ、 病気になると「狐憑き」と怖れられた。 「狐憑き」とは、このころ、地震、下田を襲った津波、コレラなど社会不安が大きい時代で ノイローゼなど精神を患う病気だけではなかった。 ニホンオオカミが姿をみせなくなった理由として、 ①享保17年(1732)の狂犬病の流行 ②明治以降のジステンパー、狂犬病により、人を襲うようになり、殺されたこと ③開発による環境の変化で、えさが少なくなり、群れをなすといわれたオオカミが明治になって孤狼が増えていったこと ④幕末からの信仰で、骨を削って飲用するための頭骨を得るために殺害されたこと などが上げられている。 上野動物園に、ニホンオオカミを飼育したという記録があるが、写真は残されていない。 当時絶滅するとは思われていなかったからといわれる。 見狼記 ニホンオオカミがまだ棲息するかというと、八木博氏が秩父山中で1996年10月14日に写真をとった。 それが、2012年にNHKのETV特集「見狼記〜神獣ニホンオオカミ」という番組で紹介された。 専門家が写真をみたが、オオカミだという確証は得られなかった。 内容は、 昔々山にはニホンオオカミが棲息していた。畑を荒らす鹿や猪を食べてくれるので、信仰の対象となった。 秩父には三峯神社を筆頭にオオカミを祀る神社が21社ある。釜山神社もそのひとつで、春に護符を配る。 オオカミは神ではなくご眷属で神の使いである。 毎月17日にお炊き上げというオオカミにご飯を備える神事がある。 一升の米を人の手がふれないように御櫃に入れリュックに入れて奥の院の少し下がった谷に備える。 備える姿は誰にもみられてはいけない。 300年間宮司だけが祝詞をあげながら備える。 ひと月前に備えた御櫃を持ち帰る。 御櫃のふちには不思議なことに1㎝くらいさがったところに噛みあとが残る。 関東には今でも信仰が残り、講を続けている所もあり、 やめると何が起こるのか怖くてやめることもできないという。 写真を撮った八木氏は、今でも山の奥深くに新しく目撃されたという場所に カメラを備えオオカミを探し続けている。 自分が死んだら山に土葬してもらい、オオカミに食べられたいと言っている。 秩父浦山にて八木氏が撮影 福島県飯館村にある山津見神社のご眷属はオオカミである。避難区域になっているが、 大変地域に親しまれた神社である。神紋が九曜紋で、千葉一族相馬氏が支配していたからだと思うが、 平将門の紋である。秩父からオオカミ信仰が伝わったのかもしれない。 残念なことに2013年火災で焼失してしまった。 宮司の奥様が亡くなられているが、神社を守るために避難していなかったと思われる。 最後に釜山神社の宮司さんが、「自然を怖れる心を持ち続けなければ災害はまたやってくる。」 と言われた。 動物学者のあいだでは最期のオオカミとして、 明治38年奈良県吉野郡高見村鷲家口(わしかぐち)で捕らえられた、若い牡のオオカミだといわれている。 大英博物館の依頼で英国人アンダーソンが8円50銭で買い求め、今でも英国に毛皮と頭骨が展示されている。 なぜか、秩父産のオオカミの頭骨も所蔵されている。 奈良のオオカミはこないかなと思った・・多分きてない というのは現地でも非公開だから・・・ 写真が見つかった 東吉野村の議員さんがロンドンを訪問した話 つぎに大英博物館のオオカミの毛皮 私は剥製の日本オオカミを見た記憶がある 実際調べてみたら大英博物館は頭骨をもっており 勘違いだったみたい・・仕方ないので写真で我慢・・・ 人間とオオカミの話 ①秩父の野上にある家から1キロほど山に入った所に洞窟があった。 そこにオオカミの親子がいて、人間が子供をさらってきた。 近所の人が珍しいと飼うことにした。ところがその晩家の戸をかじる者がいた。 どうも母オオカミらしい。3日ほど続いたが、あきらめたのか、静かになった。 戸をあけてみると縁側に殺されたうさぎが置いてあった。 子供にやって欲しいということなのか、しばらく続いた。 半月ほどすると母オオカミはどこかにいったものか死骸を置くことはなくなった。 子オオカミはよくなつき、すくすく育ったが、3年もたつと凶暴になり隣村の猟師に譲った。 聞いた話では銃殺されたらしい。オオカミがいた穴を「オオカミあーら」という。 ②信州の美麻村で、岩穴にオオカミが子を出産したので、赤飯を届けた。 オオカミの子が沢山いるので、「良い子を沢山産んだなあ。一匹くれねえか」と冗談をいった。 ところが、翌日戸口に一匹のオオカミの子が置いてあった。飼う訳にいかないので、穴に返しにいった。 ③飛騨益田郡竹原村では下女が水汲みに外にでると老いたオオカミが頻りに憐れみを乞うような様子をしている。 主人がでてきて様子を見るとのどに何かの骨を立てて苦しんでいる様子。 手ぬぐいを手にまいて口中に入れ、それを除いてやった。それから、しばらくしてオオカミは轡を持ってあらわれた。 「礼なら及ばず」と言ったがそれを置いて去って行った。それからその轡はこの家の家宝になった。 ④何となくオオカミがついてくると言ったオオカミ送り伝承が数々ある。襲ってくる訳でもなくあとをついてくるという。 松明を振ったり、長いものを垂らして引きずると襲ってこないとか、オオカミの手が肩にふれたら振り向いてはいけない。 ちょうど頸動脈がオオカミの口にきて噛まれてしまうからだ。 このオオカミ送りの話は古くは襲わないオオカミの話だったが、近世に近づくにつれオオカミの凶暴な姿が語られるようになる。 おそらく狂犬病にかかったオオカミがあらわれてからではないかと思われる。 都筑区のオオカミの護符 牛久保西の農家、私の隣家の元農家には毎年張り替えられたオオカミの護符があるので、伺って聞いてみた。 今でも宮司さんの姿で御嶽山から御師(おし)さんが来られて護符を届けてくださるという。 護符は、畑や台所に張る。そのときは、初穂料「2千円」を用意する。 牛久保の農家では大山講が続いており2年に一度大山の下社に参拝する。 牛久保の鎮守である天照皇大神神社の氏子は、伊勢神宮にも代表者が参拝する。 今でも昔ながらの信仰が続いているようだ。 参考——「秩父山の民俗考古」:小林茂 「峠と人生」「日本産動物雑話」「日本産狼の研究」:直良信夫 「秩父歴史散歩」:山田英二 「歴史知とフェティシズム」:石塚正英 「秩父市誌」:秩父市 「三峯神社史料集」:三峯神社 「武甲山写真集」「秩父Ⅰ風土考」:清水武甲 「オオカミの護符」:小倉美恵子 HPー秩父山地の歴史と文化・ETV特集見狼記・埼玉県秩父市贄川猪狩神社の狼信仰に関する一考察:西村敏也・温故知新・ #
by gannyan1953
| 2024-02-29 19:32
| 神様の話
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駅にこんなものが・・ ありました。 市営129のバスで西谷駅へ ここから歩きます。 富士山神社というそのままズバリの 神社名が気になりました。 富士塚もあります。 神像があります。 歴史は浅い神社で、 昭和36年(1961)に勧請されました。 この辺りは江戸時代から上星川杉山神社が 氏神だったそうで、 マップで見ると1.2キロほど離れています。 東川島町を通って杉山社の祭礼に 参加したと言います。 1.2キロって遠いのかなと 思いましたが、 途中帷子川を超えます。 そこで西谷の人々は 富士山がよく見える この場所に勧請したといいます。 (神社訪問記さんを参考) いい場所です。 よかったです。 振り向くと富士山は あっという間に雲の中。 少しでもみられてよかったです。 ここで夕景が見たいものです。 第六天稲荷社 第六天は関東に多い神社です。 西谷には第六天集会所もあります。 西谷の妙福寺と関係しているかと 「猫の足あと」さんにありました。 庚申塔と道祖神 トイレ休憩させていただきました。 とてもきれいな道祖神でした。 相鉄線の踏切を超えて 左に急坂がありました。 富士見ハイツがありました。 常盤台6丁目あたりから見た景色で きっと向こうの建物は横浜国大だと思います。 横浜国大というと思い出されるのが 内ゲバ殺人事件かと。 数十人で、鉄パイプでの乱闘・・ いやいやすごい時代でした。 と思っていたら 落ち着いたかわいらしい男の子が4人 こちらに向かってきました。 学部のことで評価をしあっています。 あーなんて平和な学生たちだ・・・ なんて真面目そうな男の子たちだ・・ ありました。 農業用のため池でした。 国大との境まで 池だったと思います。 三つの沢から水を集めたようで 三ツ沢の地名のゆかりです。 第三京浜を造るときの 土砂を埋め立てて池は無くなりました。 きっと畑や田んぼがなくなる頃だったのかと 思います。 向こうは横浜国大です。 緑多い大学と思われます。 Googleマップで見たら 三分の一は緑で覆われていました。 一度見学したいと思います。 #
by gannyan1953
| 2024-02-25 14:19
| 神奈川県の歴史散歩
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歴史と素適なおつきあい番外編 2024・2・13 辰年の友人が龍巡りをしたいなと 言われ、自分なりに探してみた。 田無から浅草まで北斗七星に模って 回ろうかと思ったが、 田無は遠い。 とりあえずリストアップしたのが ここ 本龍寺!! 鏝絵が満載! こて絵とは漆喰で大急ぎで絵や形を つくるレリーフの芸術である。 伊豆の松崎で鏝絵に惚れ込んだ。 本龍寺(台東区今戸1−6−18)0338757676 元和2年(1616)東本願寺の末寺として 龍賢によって開山された。 本殿に龍の鏝絵がある。 また来訪して写真を撮ってきます。 (2024年) この写真はウイキペディアより拝借。 お堂に青や赤の龍が見えます。 浄土真宗大谷派である。 ここは、江戸時代の穢多・非人という 被差別民の頭であった 矢野弾左衛門の菩提寺である。 この寺の鏝絵の作者が 判明した。 多分2010年頃と思われる。 田村専稔(1892〜1962)で、 内陣正面に菩薩、 天女などの来迎図を表している。 江戸の弾左衛門が檀家だったので、 お墓がある。 以前訪れた時本堂の鏝絵と 弾左衛門のお墓を案内していただいた。 中村座跡が近いのも偶然だが、 弾左衛門は助六の悪役だったという。 助六と弾左衛門 歌舞伎の「助六」の悪役「意休」のモデルは 弾左衛門だという説がある。 塩見鮮一郎氏の「弾左衛門の謎」によると、 宝永5年(1708)に 傀儡師(くぐつし・人形まわしのこと)の 小林新助に 弾左衛門に興行妨害されたと訴えられ、 弾左衛門は敗訴してしまう。 これは、それまで歌舞伎などの興行を 弾左衛門が支配していたとみられ、 敗訴により、その支配権を失うことになる。 歌舞伎界では弾左衛門の支配を脱した喜びから、 意休のモデルは弾左衛門で、嫌われ者の悪役に仕立てたという。 身分は士農工商からはずされ 最下位の身分であったが、 皮革加工、灯芯、竹細工の製造販売に対し 独占的な支配をもち、 大きな富を得、権勢を誇った。 幕府からは様々な特権も与えられていた。 弾左衛門は由緒書きを持ちそれには、 秦から渡来した秦氏を祖先に持ち、 平正盛の家人であった。 平正盛とは平清盛の祖父にあたる。 藤原弾左衛門頼兼といい、 長吏の頭になり、 源頼朝の朱印状を得て中世における 被差別民の頭の地位を確立したといわれる。 頼朝の子供を孕んだという ハラミット行列まである。 しかしその由緒書きの確証はない。 弾左衛門の屋敷は浅草新町といわれ まわりを寺社や塀で囲いまわりから 見られない構造になっていた。 中には長屋式の住まい、 皮革関連の作業場、寺や神社、 商店もあり常時300人(塩見氏説)が 暮らしていたという。 佐伯修氏は200人という。 屋敷内で生活はできたが、 塀の外の庶民と交流はなく 隔絶された場所であった。 幕末の13代弾左衛門は、 関東、伊豆などで10万人を従え、 金銭も多く蓄え、 一説には弾左衛門は大名のようだったという。 しかし弾左衛門は兼ねてから 身分の引き上げを願っていた。 そこで幕府のために、 幕府の兵力の増強に力を貸し、 長州征伐、鳥羽伏見の戦いに 兵隊として差し出している。 先代弾左衛門の病気のおりに、 御典医松本良順が診察したことで、 良順そして新撰組とつながり、 甲陽鎮撫隊にも出兵している。 このとき新式の銃、 資金1万両をつけて200人を 参加させているという説もある。 慶応4年(1868)に幕府への 功労により平民となり、 明治維新を迎えて名字を弾とし、「 弾直樹」又は「弾内記」と改名した。 平民となった弾は 喜んで皮革製造の工場「弾製靴所」を建てた。 外国人技師を招き皮革技術を 教える伝習所も作った。 それまで蓄えてきた多くの財産を 投資した事業だった。 が、解放令とともに、 皮革産業自由化により挫折する。 解放令とともに牛馬の死体処理の権利まで失い、 原料入手に困難だったことが理由にあげられる。 しかし日本の近代皮革産業を発展させたのは、 弾左衛門たちの努力が貢献していると思われる。 解放令とは賤民制廃止を唱え 四民平等の人権回復の法令であった。 ところが明治政府は戸籍に新平民と記し、 本当の意味での身分をなくしていない。 そして江戸時代まで住んでいた土地を奪われ、 特権だった税金免除もなくなり、 独占してきた皮革処理の権利も剥奪された。 解放令以前より、 生活水準が低下することになったのが 現実だった。 参考 ウイキペディア・徳川将軍家の謎:別冊宝島 弾左衛門の謎:塩見鮮一郎 江戸の弾左衛門:中尾建次 #
by gannyan1953
| 2024-02-14 07:43
| 東京都 歴史散歩
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歴史と素適なおつきあい番外編 2024・2・9 関東大震災の時 火災を食い止めた佐久間町に行きたくて、 お茶の水から馬喰(バクロ)町まで歩きます。 馬を食らう街ではありません。 高畠家 米穀店に見込まれ養子となる。 その援助で呉服屋を開き伊勢丹となった。 それから高畠家の所有となったらしい。 たぬきさま最強! 帝国在郷軍人会のシンボルマークの 五芒星・錨がある。 明治43年(1910)予備役、後備役軍人の 軍人精神向上と傷痍軍人、軍人遺族の 救護を目的に 伏見宮貞愛親王を総裁とした組織である。 これはドイツの仕組みを参考に田中義一が編成したと言われる。 のちに海軍も加わった。 元弘年間(1330~39)頃に、奥州街道の基点となる地に 初音森神社が創建され、 天文20年(1551)初音森神社の前に 初音の馬場が造成された。 馬追いの祭礼が行われたという。 ここは街道の基点であり、 公事方(争いごとの仲裁)の役所があったので、 旅人、商人、公事の人たちの旅籠が 多くあった。 よく賑わった街だったという。 この馬場の管理は高木源兵衛という 記録が「天正日記」にあるという。 ここで関ヶ原の戦いの前 徳川家康が数百頭の馬を揃え、 馬喰たちに検分させ、 馬を選んだという。 伯楽は中国から伝わった馬の医者のことだが、 それが馬労、馬喰となって 町名の由来が馬喰が多く住んでいたということである。 馬喰は牛馬の売買、そしてその医者でもあった。 場所は清水靴下のある通りで 馬喰町1丁目13あたりに100メートルほど あったという 初音森神社 やっと馬喰に来て 馬が見れた。 初音ミクファンが訪れているそうだ(笑) 薬研堀不動 高野長英そして長崎で学び、 ここで塾を開いたことによる。 そして佐倉藩に招かれ 種痘や外科手術も行った。 息子に松本良順がいる。 土方歳三さんと仲のいい お医者さんである。 帰りは ①JR馬喰町駅から横浜 ②JR馬喰町駅から武蔵小杉まで、 東急で日吉に行く ③馬喰横山駅から新宿線で「九段下」 半蔵門線につながる。 #
by gannyan1953
| 2024-02-09 19:04
| 東京都 歴史散歩
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歴史と素適なおつきあい番外編 2024・1・28
桃太郎伝説を伝える面白い神社である。 桃太郎が退治した鬼とは、古代のたたらが行われた場所、 あるいは鉄の原料がとれた場所にいた古代製鉄民を、 奪取し支配したことではないかと考えている。 岡山の桃太郎神社は鬼である温羅(うら)を 鉄釜で、地面に封じ込めている。 境内には関ヶ原のウォ―ランドにもあるコンクリートの 伝説に因んだ人形が数多く配置されている。 コンクリート群像作家として知られる浅野祥雲による作品である。 宝物殿が焼失し、古物は写真のみになってしまった。 私はみた! 河童の手や鬼のミイラがあった。 1996年放火により焼失。 残念なことである。 神社の山はチャートで、 チャートは酸化鉄、褐鉄鉱などが重なった岩石である。 古代のストーンサークルもあるという。 犬山周辺には、桃太郎伝説に由来する地名が多くある。 犬山(現・犬山市):家来の犬がいた地 猿洞(現・犬山市):家来の猿がいた地 雉ケ棚(現・犬山市):家来の雉がいた地 今渡(現・可児市):鬼が桃太郎の乗った船を見つけた地 取組(現・坂祝町):桃太郎と鬼が取っ組み合いをした地 勝山(現・坂祝町):桃太郎が勝どきをあげた地。 宝積寺(現・各務原市):鬼から奪った宝を積み上げた地 猿が噛みついた伝説から猿琢(さるばみ)城と 今回は偶然にも 節分のお祭り 鬼はうち 福はうちと言っていた。 今は写真だけが残る。 とうとう今風にキャラになったんですね。 味噌田楽が食べたい・・ただいま買い付け中? もう売れてしまったみたいで、 あれこれ食べているうち 田楽ができた あまりガッついたので 写真なし。 #
by gannyan1953
| 2024-02-08 08:07
| 愛知県尾張の歴史
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