歴史と素適なおつきあい

ユーシン渓谷の暗闇のトンネル・女郎小屋沢の伝説

歴史と素適なおつきあい番外編       2012・6・30(土)

ユーシン渓谷   

玄倉ビジターセンター~小川谷出合~女郎小屋沢出合~青崩隧道~石崩隧道~玄倉ダム~ユーシンロッジ~帰路~玄倉ビジターセンター

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神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川の渓谷である。

ユーシンという名は有信、友信、湧津、幽神(これはなんだか怖い)の字が当てられる。

明治のはじめに小田原藩の武士が入植したことに由来するそうだ。

現在はカタカナ表記で、付近は諸土平という。


丹沢湖の玄倉から上流にむかって玄倉川にそって林道を歩いていく道で、標高差は400mくらいなので

ハイキング気分で行ける。距離は往復12キロある。

2012年現在通行できるのは人と自転車だが、6月末に訪れた時は土砂崩れしたままの場所が2か所あったので、自転車も大変そうだ。


中央構造線上にある青崩峠と同じ名称の青崩隧道もある。ここは懐中電灯なしで歩くとものすごく怖い!


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真っ暗闇からやっと見えたトンネル入り口


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玄倉ダム  ユーシンブルー




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落石だと思うが、磐座のようにみえるユーシンの森


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ユーシンロッジ 2012年現在休館

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女郎小屋沢の地名の由来

林道に入って少し行くと女郎小屋沢という場所がある。

地名の由来は伝承によると、明治時代女郎を身請けした炭焼きがいた。

もう一つ、昔女郎小屋があった。などといわれるが、鉱山関係の由来ではないかと思う。

近くに芋ノ沢があり、芋はイモ、鋳物となり金属関連の言葉である。鉱山に女郎はつきものである。

女郎小屋沢は玄倉川に北側から流れ込む沢の一つであるが、その沢上流に武田信玄の隠し金山があったという。
 

「東沢」という。

明治になり、この東沢に200人ほどの坑夫や、女郎が住んでいたという。

地元の人の立ち入りを禁じていたため、詳細はわからない。

関東大震災で埋め尽くされ誰一人戻ってきたものはいないという。

他のサイトに信玄の隠し金山 東沢というのがあってそれを見ると昭和にも発掘が続き、

トロッコのレールも残っているという。

埋まっていなかったのか、場所が違うのかわからないが、一度東沢に行ってみようと思う。


6年前2006年夏に山梨県の増富の信玄の隠し金山にいってみたことを思い出した。

山梨県の増冨温泉の奥に金山平というキャンプ場がある。

民宿もやっていたが、民宿の方は、今は廃業してしまった。その民宿のオーナーによると、

「この裏手の山に信玄の隠し金山があって大学の先生はちょくちょくきなさる。」とのこと。

早速主人と登ってみた。

鉱穴がたくさんあった。

みな奥に水がたまっていたが、深いものもあった。



ユーシン渓谷は、表丹沢という塔ノ沢あたりは山ガールで賑わうのに、西丹沢というこのあたりは人も少ない。いるのは蛇だけだった。

最初の川の写真をとっていたとき、足元に茶色の蛇がきた。 怖かった。

というわけでとても静かなハイキングコースである。 

こちらもどうぞ 熊木沢の秋



# by gannyan1953 | 2012-07-01 15:49 | ユーシン渓谷 | Comments(0)

長尾の里 平将門

歴史と素適なおつきあい番外編                    2012・6・24(日)

溝の口~下作延~津田山駅~緑ヶ丘霊園~作延城址~五所塚~長尾神社~妙楽寺~等覚院

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作延城址の碑



作延城址

霊園にはいるとすぐ案内板がある。

鎌倉を守る中世の城で、自然の要害をなし、舌状台地の上にある。

『新編武蔵風土記稿』に、城山堀、矢倉塚、天守台などの地名があり、、作延城の跡としている。

西の生田緑地にある枡形山に本拠を構えた稲毛三郎重成が築いたものと言われる。

五所塚と平将門

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南北に五個の土まんじゅうが並ぶ不思議なところ。

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村境、悪疫退散の祈りの塚という説、十三塚という民間信仰ではないかという説がある。

興味深いものは、荒俣宏氏の「日本妖怪巡礼団」には、平将門の軍勢が京都の御所軍と戦いをした場所であるという。

御所軍は全員討ち死にし5人の将を埋めて、同時に童子も殺されたという。童子を埋めた場所には稚児の松と言われる松があったという。

五所塚公園内にかつて松はあったが枯れてしまったという。

地元では、昔から五人の将の祟りが怖れられ、明治12年に塚の発掘調査をしようとしたら、村に疫病が出てしまい、人々が亡くなったという。

そして長尾の地名から長尾景虎(上杉謙信)の家来の墓という説もある。


長尾神社川崎市多摩区長尾3-10-1

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祭神:国常立命(くにのとこたちのみこと)
    大巳貴命(おおなむちのみこと)
    大日霊命(おおひるめのみこと)


河内長尾の鎮守だった五所塚権現社は、明治時代の神木長尾の鎮守だった赤城
社を合祀し、長尾神社となっている。

稚児の松は、江戸時代の流鏑馬で射手の稚児が落馬で死亡し、供養に松が植えられたという伝説がある。
それから馬は使われず「マト―」と呼ばれる神事になった。神事は豊作を祈願する。

馬を使わないで、矢を射ることを歩射(ぶしゃ)という。
的の裏には「鬼」と書かれていて、弓は桃の枝で作られ矢は竹で作られている。

まるで、古事記の黄泉の国で小鬼に使われた桃と竹と同じである。

「鬼」とは将門のことをいっているのだろうか。

将門の幼名は鬼王丸である。

妙楽寺多摩区長尾3-9-3

「吾妻鏡」に登場する源家累代の祈祷所であった威光寺(いこうじ)、または長尾寺の旧跡であるという。

源頼朝は鎌倉幕府のはじめに、弟の全成(ぜんじょう・義経の兄)を威光寺院主とした。

見晴らしのいい、この舌状台地を軍事拠点にしたと思われる。

全成は駿河国駿東郡阿野荘(静岡県沼津市西部)を領地としたので、、阿野全成と称した。

全成は北条政子の妹の阿波局と結婚する。

阿波局は頼朝の次男千幡(後の実朝)の乳母となり、以降頼朝政権において地味ながら着実な地位を築いていった。

頼朝の死後、甥の頼家が将軍となったが、その弟実朝を擁する北条時政と組んで頼家と対立した。

頼家は全成を謀反人として捕縛し、常陸国に配流し、誅殺した。

幕府滅亡によって威光寺も衰退してしまう。

その後、武家としての阿野氏は南北朝のころも小勢力ながら生き延びた。

全成の娘は藤原北家魚名流の藤原公佐と結婚し、公家として阿野家の祖となり

後醍醐天皇の側室阿野廉子はその末裔である。

幕末期に活躍した玉松操もこの阿野家の末流に連なる。

今ではあじさい寺と呼ばれそのころには大変な賑わいをみせる。

大師穴
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妙楽寺の本堂の裏の左手の山に「大師穴」という洞窟があり、江戸名所図会にも紹介され物見遊山として楽しんでいたようである。横穴墓らしい。

住職によると崩れて危険なので見学不能だという。

裏の細い道をどんどん降りていってみたが、行き止まりになり穴らしきものは見つけられなかった。

武蔵国風土記に「谷尾にあり、内に石像を立つ・・・その様は地蔵に似たり、背には長尾村妙楽寺とあり・・享保の頃ある修験の者初めて入しより、其後は土人も折々入て見るに、・・・其のうち弘法大師の遺跡なりと云えり、大師穴と唱える」とある。

この道は後で調べてわかったが長尾砦の搦手口だったらしい。

長尾砦

武田信玄の小田原攻めのときに枡形城の出城ではなかったかといわれている。

長尾神社付近が最高所で主郭と思われるが、北方を除いてすべて宅地化され、遺構は失われている。

高さ数mの切岸を築き、土塁を巡らしていたようだ。

主郭の北方が段郭を経て妙楽寺境内に繋がり、北西の腰郭が搦手口と思われる。






等覚院川崎市宮前区神木本町1-8-1

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神木は「しぼく」という。ヤマトタケル」が、東征の折、この地で鶴に導かれて喉の渇きを癒したお礼に、

1本の木を植え、それを神木としてあがめた事、

もうひとつは、隣接する馬絹に対して新しくできた新牧が訛ったものという説がある。

天台宗で、縁起はよくわからない。

本尊は秘仏になっており、「新編武蔵風土記稿」に、一尺五寸(45センチ)の不動明王立像と伝えている。

ツツジ寺といわれている。
# by gannyan1953 | 2012-06-24 23:37 | 平将門・鉄・秩父・神社 | Comments(0)

村国男依

歴史と素適なおつきあい           2012・7月


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村国神社

壬申の乱と鉄




天智天皇が大津の宮で病に倒れると、大王(おおきみ)継承をめぐるさまざまな思惑が動き始めた。


後を継ぐ者は大友皇子(おおとものおうじ)か、大海人皇子(おおあまのおうじ)か?

皇位継承をめぐり、古代史最大の戦乱がはじまった壬申の乱という。

壬申の乱とは、病にふせる天智天皇の見舞いをした弟の大海人皇子が、


「継承者を皇后の倭姫(やまとひめ・古人大兄皇子の娘)に譲り大友皇子が政治を行うように」と言い残し、吉野に隠遁したはずの大海人皇子の蜂起にはじまった戦いである。

❋古人大兄皇子は天智天皇(中大兄皇子)に謀反の疑いで殺されている

状況

天智天皇と大海人皇子兄弟の微妙な対立を調整してきた藤原鎌足が669年に亡くなった。

大友皇子の母は、伊賀采女宅子娘(いがのうねめのやかこのいらつめ)という地方豪族出身であり、

身分が卑しいとされ、父と同母弟である大海人皇子を押しのけて王位継承者になることが困難であった。

671年、天智天皇は実子の大友皇子を太政大臣(だいじょうだいじん)に任命した。

これは、大海人皇子が権力ラインからはずされたことになる。そして大海人皇子は職を辞して、

吉野に下ることになるのだが、日本書紀はこのことを「虎に翼を着けて放てり」と評している。

672年暮れに天智天皇が崩御した。

半年後「天智天皇の山科稜築造のために、美濃、尾張から農民を動員しているが、その者達に兵器を
とらせている」
と大海人皇子に報告があった。

その動員は吉野を攻めるためではないかと思い、反乱の決意を固めたという。

大海人皇子が頼った湯沐邑(ゆのむら)は、皇太子の領地のことで、古くは「壬生部」(みぶべ)といわれた。

この時代の湯沐邑は、私領地として大海人皇子との結びつきが強かったと思われる。

大垣から安八郡、さらに揖斐郡にわたり南北に広い地域であった。

湯沐邑の責任者・湯沐令(ゆのうながし)は多臣品治(おおのおみほむじ)という。

多の一族で、一族の中に太安万侶がいる。太安万侶の父であるという説もある。

❋太安万侶とは古事記の編纂者


展開

大海人皇子は、側近の村国男依(むらくにのおより)・身毛君広(むげつきみひろ)和珥部臣君手(わにべのおみきみて)3名を湯沐邑に派遣し、兵の動員を求めた。

大海人皇子は吉野を脱出、伊賀に向かい、息長横河(おきながよこかわ)の戦い、そして琵琶湖の瀬田川で最終決戦し、大友皇子の自害に至って勝利した。


大海人皇子の名前にある海部は、乳母の出自が海部氏だったからである。

海部氏は、尾張氏や安曇氏(あずみし)と同族で安曇氏は、開鑿(かいさく)伝説にも関係し、金属に深くなじんだ氏族である。

凡海麁鎌(おおあまのあらかま)が大海人皇子の養育に関係したといわれ、「かま」は金属と関係する。(谷川健一)

美濃の地、そして尾張氏は、古代から製鉄を多くする地で、その氏族であった。

もともと大海人皇子の養育を海部氏にしたこと自体、この金属になじむ氏族を選んでいたのではないかと考えられる。

そしてこの戦いを勝利に導いたのは尾張、美濃の豪族たちであった。

各務原の英雄 村国男依(むらくにのおより)


岐阜県各務原(かがみはら)の地名は古代の鏡からつけられたと思われる。

古代に鏡作部(かがみつくりべ、銅鏡などの鏡を作る特殊技能集団)がいたことからと言い伝えられている。

また、別の説では、各務地域のほぼ中央にある村国真墨田神社に鏡作部の祖神である天糠戸命(あまのぬかどのみこと)が祀られているからとも言われている。

このアマノヌカドは、奈良の磯城郡にある多氏一族の神社・鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)の祭神でもある。

多氏も金属にかかわる氏族で、その移動に伴い各務原に鏡作部を設置したのだろうか。

各務原は、愛知県と岐阜県の境にあり、今では木曽川が県境になる。

古代の木曽川は支流が多くいまのような境ではなかったらしい。

村国男依の領した村国郷も愛知県の江南から、北へ岐阜県の各務原に至る。

壬申の乱最高の功労者といわれるが、あまり知られていない。

生年不詳で、天武天皇5年(676)7月に亡くなっている。


村国男依の活躍

6月22日に吉野を発った3人の舎人(村国男依たち)は、4日後26日に伊勢国朝明評家(あさけのこほりのみやけ)まで進んできた大海人皇子一行に「美濃勢3000人」を動員し不破(関ヶ原)を確保したことを伝えた。

その湯沐邑までの往復の道程を考えるとわずか1日か2日での動員出動したことになり、大海人皇子の事前の準備があったことがうかがわれる。
 
不破(関ヶ原)では、尾張国守小子部連鉏鉤(おわりのくにのかみちいさこべのむらじさひち)が率いた2万の兵が帰服した。

このサヒチという人物、壬申の乱の終了後山に隠れ、自殺をして亡くなっている。
なぜだろうか。
大友皇子サイドだったサヒチが大海人皇子に寝返ったため大友皇子サイドだった仲間に
会わせる顔がなかったのか、国学者伴信友によると、サヒチはもともと大海人皇子を殺害するために
わざと大海人皇子に帰服したといい、その失敗による自殺だったのか。

不破には桃配山があり、大海人皇子が兵士にねぎらいの桃を配ったことに由来する。

のちに、家康が陣営を張った場所である。

大海人皇子は野上行宮(のがみあんぐう)からは動かず戦況を見守った。

その後7月2日将軍となった村国男依は数万の兵を率いて進発した。

7月7日息長横河(米原市梓河内付近)の狭い谷間で村国男依は勝利した。

❋行宮とは、天皇が行幸、政変なので仮に使用した施設

大友軍は70キロ先の大津宮に敗走する。

7月22日瀬田橋の戦いで橋の両側に対峙していたが、大海軍の勇者大分稚臣(おおきだのわかみ)が橋を駆け抜け、斬りこんだことを契機に大友軍は総崩れとなった。

敗走した大友皇子は大津付近か京都の天王山か定かではないが、山前(やまさき)で自害する


大海人皇子は天武天皇となり功労者村国男依は連を賜り、中央下級貴族に加わり各務原にも一族は残った。

このあたりの農民たちは位階をもつものがいなかったが、乱後は位階をもつ農民が多数みられることから、男依だけでなく冠位を授けられ優遇されたことがわかる。

この処遇は701年の大宝律令制定まで続き後に解消された。

この時期各務原周辺には仏教寺院が多く建立されているので、その一族の豊かさを表しているといえる。


村国真墨田神社(各務原市鵜沼山崎町1丁目108)

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祭神:金山彦命(南宮大社)天火明命(あまのほあかりのみこと)後に村国男依

❋金山彦命とは金属の神(南宮大社の祭神)

❋天火明命とは尾張氏の祖先神(尾張、美濃の神社の祭神に多い)

秀吉の時代に南の木曽川沿い(現在の御旅所・「大脇グループ木曽川寮」の駐車場)から現在地に移転した。

村国神社 (各務原市各務おがせ町3-85)おがせは苧ケ瀬と書く

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村国神社裏の森
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村国神社裏の森のストーンサークルのように石が並んでいる
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村国座


祭神:天火明命(あまのほあかりのみこと)・御子石凝老命(みこいしこりどめのみこと)・

後に村国男依

❋御子石凝老命とは、鏡作りの神

明治15年(1882)になって奉納芝居を行う場所として村国座(芝居小屋)ができた。

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男依の伝承墓

東南200mに御旅所があり、村国男依の墳墓であるという言い伝えがある。

椋の大木を御神木として祀る。


尾張氏


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東谷山 尾張氏本願の地


古代の地方豪族で天火明命を祖神とし、本貫地は諸説があり、葛城説、吉備播磨説などある。

もとは海人族で海からこの地にきたと思われる。

美濃、飛騨などに居住したのち乎止与命(おとよ)のとき、尾張国造となる。

尾張の由来は、新しく墾り(はり)開かれた土地の意からつけられたといわれる。

なぜだか、尾張氏は皇族が新しくなるときに后をだしている。

尾張氏と皇族の婚姻

①日本武尊と簀媛命
②孝昭天皇(前475-前393)と世襲足媛(よそたらしひめ)
③崇神天皇(前97-前30)と尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)
④応神天皇(270-310)と高城入姫命(たかぎいりひめ)・弟姫命(おとひめ)・仲姫命(なかつひめ)
⑤継体天皇{507-531}と目子媛(めのこひめ)

皆、尾張氏の姫君たちである。

そして崇神天皇・応神天皇・継体天皇ともに系譜が変わった天皇である。

系譜が変わった時に尾張から姫を娶る。

どういう意味があるのだろうか。畿内にいる豪族は全王朝に関わっている豪族ばかりなので、地方の実力派豪族との結びつきを求めたのだろうか。

尾張氏は表舞台に出る氏族ではなかったが、皇室の外戚という重要な存在であったようだ。

熱田神宮の宮司、同族の津守氏は住吉神社(大阪)、元伊勢籠神社の宮司は海部氏である。

熱田神宮の宮司職は後に、親戚の藤原季範(すえのり)に譲られた。

季範の三女由良御前は源義朝の妻となり、熱田神宮のそばで、頼朝を生んだ。

頼朝は名古屋生まれなのである。そう考えると最初に武家社会を築いた頼朝、後の信長、秀吉、家康、みんな名古屋、愛知県の生まれである。

草薙剣の祟り

天武天皇が病に倒れたため占ったところ、草薙剣の祟りだという。



話は、天智天皇のころ新羅の僧が草薙剣を盗んだことにはじまる。

新羅に持ち帰ろうとするが、船は難破し捕えられる。

まだ「三種の神器」は存在していなかったので、天智天皇は手元に置いていた。

そして近江朝が滅び、今度は天武天皇の手元に置かれた。占いがでてから、すぐに熱田神宮に戻されたが、天武天皇の病は癒えなかった。

熱田神宮に今でも続く神事がある。「酔笑人神事」(えようどしんじ)という。

草薙剣が熱田神宮にもどされて神官たちが喜んだ様子だそうだが、真っ暗闇の中、熱田の神職たちが、喜んで、酔って、笑って、歩きまわった様子が、「酔笑人神事」になった。

古くより見てはならないと語り伝える神面を、神職各自が装束の袖に隠し持ち、中啓という扇で神面を軽く叩いた後、全員が一斉に「オホホ」と笑う神秘的な神事である。

新羅の僧が盗んで逃げた門は「清雪門」といい、事件以来不吉の門とされ一度も開けられたことがない「開かずの門」になっている。

なぜ祟りという占いがでたのか諸説あるが、正当な後継者だった大友皇子を自殺に追いやり、大王になった天武天皇を非難するための話ではないかといわれている。


日本武尊命(やまとたけるのみこと)と大海人皇子

ヤマトタケルは、熊襲征伐を終え、東征に向かうとき、伊勢神宮の叔母である倭比売(やまとひめ)に会いに行き、草薙剣をもらった。

東征の帰りに尾張のミヤスヒメと再び会い、剣をミヤスヒメに預ける。剣をもたずに向かった伊吹山の神に痛めつけられ、醒ヶ井の水で意識はもどるが、鈴鹿で足がたぎたぎしくなり三重に折れた(三重の語源)。能褒野(のぼの・亀山市)で亡くなって白鳥となったヤマトタケル。


大海人皇子は伊吹山麓不破の尾張氏の私弟に行宮を置き、勝利をあげたのち都である近江には寄らず往路を戻って飛鳥にもどる。即位してのち熱田神宮の草薙の剣の祟りによって亡くなる。
両者には似通ったところがある。


伊吹山周辺の鉄

なぜ両者とも伊吹山なのか。草薙の剣と関係するのか。

伊吹山の近くに伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1)がある。

中山道沿いに大きな鳥居があり、少し奥まった場所にある。「いぶき」とは伊福部氏であり、尾張氏と同族で、伊吹山麓周辺で鉄を生産していた。
大海人皇子の行宮とした尾張氏の館もその管理のためにあったと思われる。

現在伊吹山では石灰が掘られているが、古代ではこのあたり、鉄生産がさかんであった。


南宮大社 (岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1)

伊吹山の南にある美濃国一宮で、鍛冶の神である。

祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)。

鞴(ふいご)祭では、実際に野鍛冶による鍛錬を神官が行い小刀を作成して、奉納する金属の行事があり、今でも金属に携わる人々が集まる。

節分の行事で、的の裏に「鬼」と書かれた大的に12本の矢を射る大的神事がある。

鬼とは平将門のことで、京都から飛んできた将門の首を南宮大社の祭神隼人神が射落としたという。

近くに「御首神社」がある。

金生山(きんしょうざん)岐阜県大垣市赤坂町金生山(かなぶやまが正しい)

伊吹山の東麓にある、

石灰岩の山で現在石灰岩や大理石が、掘り出され山容が変わっている。

赤坂駅には石灰を運ぶ貨物があり、石灰の製品が積み上げられている。

昔は、鉄鉱石の質が高く自然の丹としては最高のものでそのままベンガラとして使えたという。

第二次世界大戦時も軍隊が褐鉄鉱を掘り出している。麓の赤坂、青墓は刀鍛冶が多くいた。

多度大社 三重県桑名市多度町多度1681

養老山地に南にあり、摂社に一目連神社があり、祭神は天目一箇命(あめのまひとつのみこと)である。

鍛冶の神である。現在でも祭祀に刀鍛冶の奉納がある。

尾張の鉄

内々神社(うつつじんじゃ)内々神社 春日井市内津町上町24

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内々神社 本殿      


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内々神社横の内津川支流の鉄分が流れる様子


祭神は、日本武尊命(やまとたけるのみこと)建稲種命(たけいなだねのみこと)・簀媛命(みやずひめのみこと)

南北朝時代の禅僧、夢窓国師の作庭と言われている庭が奥にある。隣に妙見がある。

神社はしばらくして衰退し、妙見様として復興、のちに内々神社として再興し、庭は寺だったことによるのかもしれない。

由緒は、東国の平定を終えたヤマトタケルが内津峠にさしかかったとき、早馬で副将軍のタケイナダネが駿河湾で水死したという知らせがあった。

知らせをうけたヤマトタケルは絶句し「ああ、現哉現哉」「ああ、うつつなりうつつなり」

とつぶやき、鎮魂のためタケイナダネの社をたてたことがはじまりという。

タケイナダネはヤマトタケルの妻であるミヤヅヒメの兄で、東征に付き従った。

東征の帰路、ヤマトタケルは山道を、タケイナダネは海沿いの道で別々に帰ってきた。

しかし駿河の海で尊に献上するミサゴ(野鳥)を捕らえようとした際、風波が強くなって船が沈没、自らも水死したという説とヤマトタケルをねらう密偵に殺害されたという説がある。

衣服が流れ着いたのが知多半島の先にある羽豆神社、遺体は吉良に流れ着き幡豆神社に祀られたとされる。

後ろの山は茶褐色のチャートで、渇鉄鉱が含まれている。近くにマンガンも出るという。

ここは下街道(善光寺街道)という古くからの街道がある。現在の19号線である。

また、新撰組結成に関わった清河八郎が母と伊勢参りに通ったといわれる。

尾張戸神社(おわりべじんじゃ)名古屋市守山区大字志段味(しだみ)字東谷字2099

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尾張部神社 本殿
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頂上からの眺望


東谷山(とうごくさん)の頂上にある尾張平野の眺望随一の神域である。尾張氏の祖を祀り、尾張氏本願の地であり、熱田神宮の奥ノ院と言い伝えがある。

祭神は、天火明命(あめのほあかりのみこと)―尾張氏の祖

天香語山命(あまのかごやまのみこと)―尾張開拓の祖

建稲種命(たけいなだねのみこと)―ヤマトタケルの副将軍

創建は、簀媛命(みやずひめのみこと)―草薙剣を祀るため熱田神宮を創建したヤマトタケルの妻

東谷山は古代のピラミッドといわれる超古代史では有名な山である。

頂上に磐座、ストーンテーブルがあり、古墳がある。古代祭祀の残る山である。

社殿も古墳の上に鎮座し麓には古墳群がある。

壬申の乱で活躍した尾張の物部氏(朴井 雄君・えのい の おきみ・物部氏で守屋の子ともいわれる)たちの古墳といわれる。


各務原の鉄


各務原の製鉄遺跡・村国男依を祀る神社の地図


村国男依のいた各務原には飛鳥時代の製鉄遺跡がある。

伊木山の八熊遺跡と野口廃寺跡である。

桃太郎神社(愛知県犬山市栗栖字古屋敷)

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桃太郎伝説を伝える面白い神社である。

桃太郎が退治した鬼とは、古代のたたらが行われた場所、

あるいは鉄の原料がとれた場所にいた古代製鉄民を、奪取し、支配したことではないかと考えている。

岡山の桃太郎神社は鬼である温羅を鉄釜で、地面に封じ込めている。



境内には関ヶ原のウォ―ランドにもあるコンクリートの伝説に因んだ人形が数多く配置されている。

コンクリート群像作家として知られる浅野祥雲による作品である。

宝物殿が焼失し、古物は写真のみになってしまった。

名古屋在住のころ私はみたが、河童の手や鬼のミイラがあった。

愛知B級スポットといわれている。

神社の山はチャート層で、チャートは酸化鉄、褐鉄鉱などが重なった岩石である。

古代のストーンサークルもあるという。

このあたりを流れる木曽川はチャートの露頭が見える場所である。

犬山周辺には、桃太郎伝説に由来する地名が多くある。

犬山(現・犬山市):家来の犬がいた地

猿洞(現・犬山市):家来の猿がいた地

雉ケ棚(現・犬山市):家来の雉がいた地

今渡(現・可児市):鬼が桃太郎の乗った船を見つけた地

取組(現・坂祝町):桃太郎と鬼が取っ組み合いをした地

勝山(現・坂祝町):桃太郎が勝どきをあげた地。猿が噛みついた伝説から猿琢(さるばみ)城と名付けられた戦国時代の城が頂上にあった。

宝積寺(現・各務原市):鬼から奪った宝を積み上げた地


参考
「新説壬申の乱大海人皇子」週刊戦乱の日本史・「壬申の乱」:遠山美都男著・「各務原市史」・
「大垣市史」・春日井シンポジウム「壬申の乱」、「渡来人」:森浩二、門脇禎二著・
「白虎と青竜」、「本当は怖ろしい万葉集」:小林惠子・「壬申の乱の謎」、「消された王権」、「おとぎ話に隠された日本のはじまり」:関裕二 「青銅の神の足跡」:谷川健一 
HP:ウィキぺディア・桃太郎神社・桃太郎伝説
# by gannyan1953 | 2012-06-05 09:38 | 岐阜県の歴史散歩 | Comments(0)

塩の道 千国街道 松本〜南小谷

歴史と素適なおつきあい番外編                  2012・4.29~5.2

塩の道 千国街道

松本~南小谷 街道歩き

1日目 18キロ  松本~穂高(松本ツーリストホテル泊)
2日目 22キロ  穂高~北大町(ホテル白馬泊)
3日目 23キロ  北大町~ホテル白馬(ホテル白馬泊)
4日目 13キロ  ホテル白馬~南小谷

松本ツーリストホテルは朝食がおいしい。
ホテル白馬は白馬駅から徒歩10分。天然温泉で朝夕バイキング。

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塩を運んだ道で、松本から糸魚川までの道を松本街道、糸魚川街道、千国街道という。

今では「塩の道」といわれている。

三十里(120㎞)の山道で、信州からは、豆、麻、綿、タバコなど運ばれた。

日本海からは塩漬けの魚や、塩が運ばれた。姫川を遡るきつい山道であった。

せまい険しい道には牛が馬より適していたようで、牛は道端の草を食べながら進むので、

餌の手間もなく、塩を運ぶとついでに牛も売って、帰路は身軽に帰ることもあった。

購入する塩は農家ではにがりの多い悪い塩を買い、塩俵を桶の上において

にがりが落ちて、そのにがりで豆腐が作れるという。(塩の道:宮本常一)

フォッサマグナ

フォッサマグナの西境界線にあたる道である。

フォッサマグナにあたる妙高連峰付近は大部分が2500年前の堆積物で覆われているが、フォッサマグナの外側にある飛騨山脈は5億5000年前の地層である。

大規模な地殻変動でできたものである。

その誕生は、日本の海溝は南海トラフと日本海溝の二つだったため日本列島は中央部が二つに折られる形でアジアから離れた。

折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海であった。このころ海の底には新生代の泥や砂が堆積した。

200万年前フィリピンプレートが伊豆半島とともに本州にぶつかるころ、別れていた列島を圧縮。

海が徐々に隆起し、底にあった新生代の堆積物が見られる地層になった。(ウイキぺデイア)


b0228416_1882099.jpg松本から養老峠の道を早速間違えて、芥子坊主とかいう峠まで登ってしまった。駐車場があり、バーベキューをしている人がたくさんいた。誰も養老峠を知らない。が、桜が満開で、常念岳がきれいだった。

松本市さん、道しるべを設置してくださいね。

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加助夫婦惜別の岩

江戸時代、多田加助が年貢軽減を求めて捕まるときに、妻と別れた石でその後処刑された。

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なぜか鳥居が埋まっている

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州波神社
祭神はタケミナカタなので諏訪と同様である。

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穂高神社安曇野市穂高6079(本宮)
祭神: 穂高見神(ほだかみのかみ)、綿津見神(わだつみのかみ)、瓊瓊杵神(ににぎのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、安曇連比羅夫命(あづみのひらふのみこと)、信濃中将(しなのちゅうじょう)

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泉小太郎

泉小太郎伝説

むかしむかしこのあたりは湖で、竜が住んでいた。犀竜という。

その東に白竜王がおり犀竜との間に子供が生まれた。

泉小太郎といい。松本の城山あたりで、育った。

成長した小太郎は母恋しと会いに行くが、母は竜で、諏訪大明神の変身であることを知った。

母は自分の氏子を繁栄させるため、小太郎を背中にのせ、巨岩を破り下流の岩山も突き破った。

湖の水が落とされ、安曇平という大地ができた。

土地は田畑が拓かれ小太郎の子孫も繁栄した。

「信府統記」より



てるてる坊主
b0228416_9272359.jpgb0228416_9282276.jpg池田町はてるてる坊主の作詞者浅原六朗の生まれた町でてるてる坊主の曲が町に流れる

3番の歌詞は雨が降ったら首をちょんぎるという歌詞である。怖い!

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仁科神明宮

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神明宮本殿中門(前殿)は国宝である。
仁科御厨鎮護のために勧請された。
石坂さん金田一の犬神家のロケ地になった。

    

仁科神社b0228416_9324057.jpg森城跡

仁科氏は信濃の豪族で平貞盛を祖とする説、安部貞任を祖とする説、安部氏を祖とする説がある。

鎌倉時代、後鳥羽上皇に仕えたことで、鎌倉幕府が御家人が上皇に仕えることならぬと仁科氏を処罰した。
これに激怒したのが後鳥羽上皇で、承久の乱の発端といわれる。

その仁科氏の森城跡である。

承久の乱で仁科氏本家は滅ぶが支族はのちのちまで信州に生き残る。

その後小笠原氏の支配となり、一応従属することになるが、旧支配者としての気持ちも持ち続けた。

武田に内通し、小笠原家の排除が成功するが、武田に上杉謙信への内通を疑われ殺害される。
 
信玄は名家仁科氏の名目を必要とし信玄の5男に仁科氏を継がせた。

後に高遠城で信長に攻められ亡くなる仁科五郎守信である。 

その後徳川の旗本となって明治まで続く家柄となる。

この奥に阿部神社があるそうである。石坂さん金田一の犬神家のロケに使われた。



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木崎湖のキャンプ場近く
に弁天島という鳥獣慰霊碑がある突き出た場所がある。そこの祠に円空仏みたいな仏様がいてかわいらしかった。円空さんは穂高に登ったらしいが、木崎湖を訪れてたりして。ちなみに木崎湖は2006年の犬神家のロケ地らしい。石坂さん金田一で、足がにょきっとでている印象的なシーンは青木湖のロケである。

b0228416_1094126.jpgb0228416_10103831.jpg首だけの仏様
西海の口堂というらしい。



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ひたすら続く観音様
それも道は5月なのに雪道だった。

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小谷小学校にあるがこの建物はなんだろう。

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素晴らしい古道である

雨の中、我が夫がカッパを着て歩いていく。駅にいくため山を下りた地名は「雨中」だった。

これで、今回の街道歩きは終了。





 
# by gannyan1953 | 2012-05-03 11:08 | 塩の道  | Comments(0)

尾張戸神社・内津神社

歴史と素適なおつきあい番外編 愛知県             2012年3月2日

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東谷山(とうごくさん)

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超古代史の本に黒又山、モヤ山、位山などと並んでピラミッドであると読んだ記憶がある。

本がなんであったかわからなかったが、車で向かうときに、とても目立った山だった。

頂上の神社の裏に岩(磐座・いわくら)がたくさんあり、奈良の三輪山のようだ。

井戸は伊勢湾の潮位と関係するとか、ミステリアスなことも書いてあったと思う。

古墳の石室といわれるストーンテーブル、神社そのものが古墳の上に建っているなど、今風のパワースポットである。

古墳は平成20年(2008)に名古屋市が調査し、4世紀後半築造の円墳と断定された。

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夜景が美しいそうだ。







尾張戸神社(おわりべじんじゃ)名古屋市守山区大字志段味(しだみ)字東谷字2099  

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                尾張戸神社社殿

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                中社古墳(参道にある)
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                頂上からの景色

東谷山(とうごくさん)の頂上にある尾張平野の眺望随一の神域である。

祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
   天香語山命(あまのかごやまのみこと)
   建稲種命(たけいなだねのみこと)
勧請:簀媛命(みやすひめのみこと)

大永元年(1521)に焼失したが、守護の斯波氏により、再興された。

徳川の世には藩主徳川家により、名古屋城の鬼門にあたるということで、

篤く信仰された。

天火明命

祭神は尾張氏の祖である。 

天火明命について史書によって多説ある。

古事記:天火明命 天忍穂耳命(あめのおしほみみ)と高木神(別名―高御産巣日神やかみむすひのかみ))の娘萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)の子であるという。

日本書紀:火明命(ほあかりのみこと)、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ):天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)素戔嗚命の五男。物部氏の祖先と同一という。

神社志料:天照御魂神(あまてるみたまのかみ)

       天火明命=天照御魂神ということになると、皇祖神ということになる。

天香語山命(あまのかごやまのみこと)又の名を高倉下命(たかくらじのみこと)

天火明命の長子である。
大和国高尾張の対岸高座山に降臨し、東谷山(とうごくさん)を往来し、尾張開拓のため東谷山に落ち着いた。

麓の渓流庄内川を渡るときには常に一匹の白鹿が現れ、命を乗せたという伝承がある、そのため、鹿乗橋、鹿乗ヶ渕という地名が残る。

尾張の地名の由来は新しく墾り(はり)開かれた土地の意からつけられたという。

建稲種命(たけいなだねのみこと)

尾張国造乎止与(おとよ)命の子である。天火明命から12世にあたる。

建稲種命は日本武尊の東征に従った功績から、稲種は産業振興の意味がある。

熱田神宮にも祀られている。

内津神社を参照。

簀媛命(みやすひめのみこと)

尾張国造乎止与(おとよ)命の娘で日本武尊(やまとたける)東征の折、妻になった。

建稲種命の妹である。日本武尊は簀媛の月の障りをおして交わったという。

日本武尊が能褒野(のぼの)で亡くなると、日本武尊より預けられた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙の剣(三種の神器のひとつ)を奉斎鎮守するため熱田神宮を建立した。

この地は尾張氏本貫の地であり、東谷山西腹には多数の古墳が存在し、神社も古墳の上に作られている。

尾張戸神社は、成務天皇5年(135)簀媛命による勧請と伝わる。

大永元年(1521)に焼失するが、守護の斯波氏により、再興。名古屋城の鬼門にあたり、尾張藩徳川家の信仰も篤かった。

尾張氏

古代の地方豪族で天火明命を祖神とし、本貫地は諸説があり、葛城説、吉備播磨説などある。

もとは海人族で海からこの地にきたと思われる。



美濃、飛騨などに居住したのち乎止与命(おとよ)のとき、尾張国造となる。

なぜだか、尾張氏は皇族が新しくなるときに后をだしている。

尾張氏と皇族の婚姻

①日本武尊と簀媛命
②孝昭天皇(前475-前393)と世襲足媛(よそたらしひめ)
③崇神天皇(前97-前30)と尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)
④応神天皇(270-310)と高城入姫命(たかぎいりひめ)・弟姫命(おとひめ)・仲姫命(なかつひめ)
⑤継体天皇{507-531}と目子媛(めのこひめ)

皆、尾張氏の姫君たちである。そして崇神天皇・応神天皇・継体天皇ともに系譜が変わった天皇である。

表舞台に出る氏族ではなかったが、皇室の外戚という重要な存在であったようだ。

熱田神宮の宮司、同族の津守氏は住吉神社(大阪)、元伊勢籠神社の宮司は海部氏である。

熱田神宮の宮司職は後に、親戚の藤原季範(すえのり)に譲られた。

季範の三女由良御前は源義朝の妻となり、熱田神宮のそばで、頼朝を生んだ。頼朝は名古屋生まれなのである。

そう考えると最初に武家社会を築いた頼朝、後の信長、秀吉、家康、みんな名古屋、愛知県の生まれである。

壬申の乱のとき大海皇子の強力な味方についたのも尾張氏である。

大海という名も尾張氏族の海部をとっている。

このとき、武器を調達した伊福部氏は美濃で鍛冶をしていた。

各務原の豪族村国男依も協力者だが、各務原にも製鉄遺跡がある。

尾張氏の祖である天火明命を祖神とする氏族(新説日本古代史より)

  朝来直(あさこのあたい)
  五百木部君(いおきべのきみ)
  大炊刑部造(おおいのさかいべのみやっこ)
  川内漢人(かわちのあやひと)
  椋連(くらのむらじ)
  児部連(こべのむらじ)
  坂合部連(さかいべのむらじ)
  蝮王部首(たじひのみぶにおびと)
  丹比連(たじひびむらじ)
  襷多治比連(たすきのたじひのむらじ)
  津守連(つもりのむらじ)
  檜前舎人造(ひのくまのとねりのみやっこ)
  六人部連(むとりべのむらじ)
  海部直(あまべのあたい)


内津神社(うつつじんじゃ)内々神社 春日井市内津町上町24

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祭神 : 日本武尊命(やまとたけるのみこと)
     建稲種命(たていなだねのみこと)
     簀媛命)(みやずひめのみこと)

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南北朝時代の禅僧夢窓国師の作庭と言われている庭が奥にある。隣に妙見がある。

神社はしばらくして衰退し、妙見様として復興、のちに内津神社として再興し、庭は寺だったことによるのかもしれない。
 

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由緒は、東国の平定を終えた日本武尊が内津峠にさしかかったとき、早馬で副将軍の建稲種命(たけいなだねのみこと)が駿河湾で水死したという知らせがあった。

知らせをうけた日本武尊は絶句し

「ああ、現哉現哉」「ああ、うつつなりうつつなり」


とつぶやき、鎮魂のため建稲種命の社をたてたことがはじまりという。

建稲種命は日本武尊の妻である簀媛命の兄で、東征に付き従った。

東征の帰路、日本武尊は山道を、建稲種命は海沿いの道で別々に帰ってきた。

しかし駿河の海で尊に献上するミサゴ(野鳥)を捕らえようとした際、風波が強くなって船が沈没、自らも水死したという説と日本武尊をねらう密偵に殺害されたという説がある。

衣服が流れ着いたのが知多半島の先にある羽豆神社、遺体は吉良に流れ着き幡豆神社に祀られたとされる。
# by gannyan1953 | 2012-04-22 17:29 | 愛知県尾張の歴史 | Comments(5)



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