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歴史と素適なおつきあい

東海道歩き57次②藤の森から八幡まで

歴史と素適なおつきあい番外編 2021・2・9
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              伏見の月桂冠

藤の森駅から出発。

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墨染の地名は、平安時代、友人の藤原基経の死を悼み、
「深草の野辺の桜し心あらば
今年ばかりは墨染めに咲け」
と歌ったことから。

基経は初めて関白になった人である。

欣浄寺(ごんじょうじ)
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ここに昨日の小野小町いた随心院に99夜通った
深草少将の家があった。
約5.4キロ!

牛車で通ったと思っていたが、
小町に牛車は目立つといわれ、
徒歩で通った。

99日目は寒い日で、
凍死したという。

少将が亡くなった後日談
ある時、一人の僧のもとに小野小町の霊が現れて、
「どうぞ供養してください」と懇願する。
僧が小町のために香を焚き、
読経していたところ、一人の男の霊が現れ、
「小町が成仏したなら、再び私は一人で苦患の底へ沈んでしまう。
そんなことはしてくれるな」と言う。
小町の霊が成仏するのを引き留めた人物こそ、「
百夜通い」の片方の主人公・深草少将だった。
少将を気の毒に思った僧は、
二人の霊を弔って、そろって成仏させたという。

ただし、逆の説もある。

榧の実を置いたのは少将の方だったというのだ。

少将は自分が確かに訪ねた証拠として、

小町の屋敷の門口に毎夜一粒ずつ

榧の実を置いていたが願いを果たせず、

100粒目の実を握り締めたまま、

事切れたという。

実は小町も少将が訪ねて来る度、

榧の実を綴りながら、

その誠実さに心打たれ、

小町も100夜を待って

いたのかもしれない

(M京都)


随心院には榧の実が展示されていた。


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並んだ2人の供養塔
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少将さんの井戸

ここに新選組井上源三郎さんの首塚がある。
鳥羽伏見の戦いで亡くなり、
甥っ子が首を持ち帰ろうとするが、
重くて、10才の甥っ子である。
仕方なく寺に刀と首を埋めたということである。

残念だがどれが首塚かわからず
写真はない。
小さな五輪塔だった。

幕末に欣浄寺は廃寺になっていた。

近藤勇が墨染で、襲撃されている。
欣浄寺から歩いて5分!

寄るのを忘れた・・・・

京料理清和荘のあたりである。

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月桂冠のサイトからお借りした。


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橦木町の廓・遊郭跡で、
石柱は大正時代に建てられた。
花街としては小規模だったが、
大石内蔵助が遊興したことで、
昭和の時代まで存続した。

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遊郭だった痕跡はない。


かましきさん
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名前につられお参りしたら、
安土で信長から賜った仏様があるという。
かましきさんは地獄で苦しむのを、
代わってくれるというお地蔵様。

閻魔様が作った仏様もあるという。
チベット仏教では日本最古といわれる
観音様もある。

とても庶民的な感じのお寺さんだった。

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大黒寺
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伏見には秀吉が伏見城に居住してから
多くの大名屋敷があった。

ここは薩摩藩の祈願所だった。

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千本松原の工事をした
平田靫負さんのお墓があった。



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寺田屋で薩摩藩同士の騒動で亡くなった
有馬新七さんの墓。
敵と一緒に串刺しになって亡くなるという、
ショッキングななくなり方をした人である。

他にも多くの方のお墓はあるのだが、
有馬新七さんは大河ドラマで
増田修一郎さんが演じている。
その増田さんに少し縁があるので・・・

銀座跡

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伏見桃山駅近くに、
家康が設置し、関ヶ原のあとに廃止した銀座で、
銀座発祥の地である。

御香宮神社(ごこうぐうじんじゃ)

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祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇などで、
筑紫の香椎宮から勧請したのではないかといわれる。

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鳥羽伏見の戦いで官軍がいた場所である。
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黒田節誕生の地だという。
よく父が歌っていた。


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伏見奉行所

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土方歳三さんもここにいた!
目と鼻の先の御香宮から攻撃を受けている。
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明治になって陸軍が使った。
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新政府は練兵場を設け、
訓練された兵は五稜郭にも向かった。
そして伏見工兵第16大隊が置かれた。
戦後は米軍が接収し、米軍キャンプがあったという。

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会津藩駐屯地

ますます胸が苦しくなり、
早々退散。


西岸寺
油掛地蔵がある。
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黄桜資料館の前の建物

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竜馬通り

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月桂冠
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月桂冠のレストラン 月の蔵人
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串揚げ御膳

寺田屋

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コロナで休館だが三度はきている。

伏見の船着き場近くの月桂冠
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川のそばに竜馬とお龍の新婚旅行発祥の地。

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にゃんこが沢山いた



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三栖閘門資料館は休館

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夏には船が出るという。

ここから淀まで川の土手を行く予定だったが

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数年前まで通れた橋が老朽化で通れない。

また戻って
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近くの橋を渡って土手に出る

ずっとずっと土手歩きだが
トラックが結構な速さで通り過ぎる。

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土手の横は京大防災研究所や廃棄物処理工場、
光アスコンはずっと白い煙を出している。

やっと下りると
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数年前まで何もなかった所が
家が建つ。
一戸建て安いな。

いままで歩いてきたまわりは
昭和まで小椋池があったところ。

戊辰役の碑

このあたりで井上源三郎さんは亡くなったという。

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合掌。板碑は妙徳寺で、井上源三郎さんの供養を
御子孫が行なったという。



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伏見納所 なんて読むんだろう?
ふしみのうそ

のうそとは年貢を集める場所だという。
京街道が整備されている。
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京街道から少し離れて妙教寺に寄った。

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朝鮮通信使が大坂から船で
ここまできて上陸したという。


淀君がいた淀城址である。



こちらは江戸時代の淀城址

淀駅そばの道標、昭和三年に建てられた。
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小椋池とある。
昭和に入って工事で出口を失った
小椋池はマラリアを起こした。

そして埋められたが、
地下には満々と水があるという。

目に見えない池があるということか。

競馬場で一休みしてまだ進む

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うだつのあがる家があった。

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男山が見えてきた
あの塔はなんだろう
新しくできた「さくらであい館」だった。

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橋を渡ると男山八幡宮

2日目終了
八幡駅(やわたえき)から京都のホテルへ













































# by gannyan1953 | 2021-02-27 14:16 | 東海道歩き57次 | Comments(0)

淀城址に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2021・2・9
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城主は久松松平家、戸田氏、稲葉氏など。
江戸幕府により河村右衛門の屋敷跡に
築城された。
交通の要衝であった。
幕末に官軍に寝返り、
新選組は辛い思いをした。

京阪電車から石垣を見る事ができる。
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# by gannyan1953 | 2021-02-27 13:59 | 中世の城めぐり | Comments(0)

東海道歩き57次①追分から藤森神社

歴史と素適なおつきあい番外編 2021・2・8
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随心院の襖絵

東海道は53次というが、本当は大坂までの
57次だという。

秀吉が河川改修をして文禄堤をつくり、
大坂までの道を確保した。
京街道、大坂街道とよばれている。
江戸時代、天皇に近づく事を幕府は怖れ、
参勤交代などで往来する大名は、
京都に入る事をしなかった。
西国大名はここを通ったという。

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ここは東海道の追分で、
東海道はは右の道を進み、京都三条大橋にいく。
今回は左の京街道といわれる道をいく。

14年ぶりの追分で、いつかこの道で大坂行きたいなと
ぼやいていた事を思い出す。
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追分からすぐ大きな灯籠が多い。
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牛尾山道の道標。
今年は丑年、個人的なテーマが牛の神様・・・

早速牛がでてきました。

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左が牛の頭でずーっと牛尾山に沿って
街道があるのだが、
牛が寝そべっているように見えた。


牛尾山には多くの伝説があり、
清水寺の奥院だとか、
大蛇退治や、多くのお坊さんや、
秀吉などの武将もお参りしている。

私の中で一番の伝承が、
仁海という僧が夢で母親が
牛に生まれ変わって
いる事を知り、
その牛を飼っていたが、
死んだ。
大変悲しみ、牛の皮に
両界曼荼羅を描き
本尊とした。
そして尾を山頂に埋めたという。

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この牛お母さんだったんですね。
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牛の埴輪に似ています。

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鶴喜そば山科店

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きっと大きな石がご神体なんだろうなと
思いながら通過

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残念な事に榎が残骸と化している。

随心院
さきほどのお母さんが牛に生まれ変わり、
その皮で作った曼荼羅を本尊とした寺だそうだ。



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この寺は小野小町の家である。
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廊下が美しかった
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度肝を抜いた襖

小野小町の生涯が描かれている

他の襖も(古い)とても素適だが
撮影はできない。

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榧の木
かつては随心院境内を中心に、
99本の榧(かや)の巨木が生えていたとされ、
現在も随心院の近くに大きな榧の木が残る。
その木は少将が通って来る度、
小町が一粒ずつ綴っていた実の一つが育ったもので、
二人の死後に撒かれたと伝え聞く。
(M京都)


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勧修寺橋
かじゅうじと読む

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前日大河ドラマで亡くなった明智光秀の胴塚があった。


前日大河ドラマで亡くなった明智光秀の胴塚があった。

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また磐座の神社だなあと思いつつ
通過。
なぜこだわるかというと、
20年ほど前からしばらく磐座大好きで、
イギリスにまで行ってしまった・・・

巨石のストンサークルの中に宿があり、
巨石に囲まれて泊まれるという世界遺産である。


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街道らしい風景

藤森神社
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日本書紀の編集をした天武天皇の皇子で、
学問の神様になっている

天武天皇の次の天皇は持統天皇で、
皇子たちは皇位を継いでいない。

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宝物館
出迎えてくれたのは刀剣乱舞だった



今日は終了。

京都駅で

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また牛だ

とうふ料理「京豆冨 不二乃」


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日本酒美味しかった

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豆富膳

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食事をして階段を下りてきたら
突然階段にライトが・・・

振り向いたらここからバレンタインの
動画が始まった

ビックリした!






























# by gannyan1953 | 2021-02-26 20:52 | 東海道歩き57次 | Comments(0)

小磯城に行ってきた

歴史と素適なおつきあい番外編 2021・2・4
小磯城に行ってきた_b0228416_14283123.jpg
城主は越後五郎四郎である。
長尾景春の乱で落城している。

長尾景春の被管・直属の武士で、太田道灌が
溝呂木城を落すと降伏したのではないかと
思われる。
相模川を遡ると磯部(溝呂木)城がある。

戦国時代になると
北条早雲が相模を攻めだしたので、
北条家に降伏したかわからない。

よく見通せる場所なので
見張り所としての機能は
あったのではないかと思う。

このふもとの吉田茂邸のそばを
川が流れる。
名前は血洗川。

城と関係するのか、鉄分が多い川なのか
わからないが。

調べてみたら伝承は鎌倉時代のものであった。
この近くの切り通しに行基が作った地蔵があった。
頼朝が鶴岡八幡宮に参拝したとき、
狼藉を働いた者がおり、
梶原景時の息子ではないかと疑われた。
その子は畠山重忠に討たれた。
しかしその子はケガもなく
代わりに地蔵から血がでていた。
今は西長院に身代わり地蔵として存在する。
(wiki)
大磯のホームページでは
岡崎城の岡崎義実の娘が
地蔵の前で襲われ斬られると
したところ地蔵が身代わりになったという。

伝承はまだまだあるのかな。
岡崎城は平塚です。



現在はは大磯公園となっており、
城名も大磯城ともいわれる。
小磯は地名で大磯と小磯があった。
今は大磯町西小磯である。

明治になって三井家別邸になり、
多くの客人も訪問した。

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展望台から小田原方面が見える

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横穴墓があり、大磯の渡来人の足跡である。









# by gannyan1953 | 2021-02-21 15:08 | 中世の城めぐり | Comments(0)

ダイアモンド富士

歴史と素適なおつきあい番外編 2021・2・21
ダイアモンド富士_b0228416_13275422.jpg
いただいた写真でセンター北モザイクモールの前から
ダイアモンド富士_b0228416_13280713.jpg
ダイアモンド富士_b0228416_13281242.jpg
場所を変えてダイアモンド富士を追ったが、
以下私の写真
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17日
18日は雲で富士山は見えなかった

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19日中川〜センター北までの緑道

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東京都市大学の河津桜

今日は暑い!







# by gannyan1953 | 2021-02-21 13:35 | 港北ニュータウンの歴史・老馬 | Comments(0)



横浜周辺の歴史散歩

by gannyan1953
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